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ダラムサラ旅行記(4)

11/22(火)。
d0016306_18595584.jpgダラムサラの朝。
現在、インドは乾季。
11月の Dharamsala は
朝は10度以下、昼は25度以上になる。

風にはためいている旗はタルチョという。
これはお経の書かれた旗で、風になびくと
1回お経を読んだことになるらしい。

1回まわすと1度お経を読んだ事になる
マニ車といい、お経をたくさん読むための
便利道具が多いチベットである。





朝。
ホットシャワーが出ないため、うらるんたさんももちべさん中村さんの部屋へ行く。
勿論、内側からドアは開かないので、外側から中村さんにあけてもらう。
私は昨晩水でシャワーを浴びていたので、ぼんやりと準備。
ホットシャワーも時間限定(夜中は出ない)なので、なかなか大変。日本は便利ですなぁ。

準備も出来、いざ出発というときになり、また外からあけてもらおうと中村さんに電話するが
中村さんは部屋にいなかった。しょうがないので、フロントへうらるんたさんが電話。
ついでに部屋を変えてもらうよう、アピールもする。
やってきたインド人が外からドアを開けてくれたので、うらるんたさんが
「木のドアにつけられたねじ穴が駄目になっていて、ドアが機能していない。」と説明するが、
このインド人、「ノープロブレム」しか言わない。
挙句、内側からもドアが開くことをアピールしようと思ったのか、
自分も部屋に入ってドアを閉めてしまった。
「あぁぁぁあぁ」と叫ぶ日本人3人。
インド人、こっちを見てニヤっと笑い、内側からドアを開けようとするがやっぱり開かない。
「だから言ったのにさぁ…」「コントやってんじゃないんだから」とぼやく日本人。
焦って懸命にドアを開けようとするインド人。
結局、ドアは開かず、インド人がフロントに電話をかけ、更なる救援部隊が来ることとなった。

無事ドアも開き、フロント前で中村さんと合流して再度部屋の交換を主張するも、
インド人は「ノープロブレム」しか言わない。どうも、修理するから待っとけ、と言いたいらしい。
あんたの仲間、閉じ込められたやんか。
てか、木のドアのバカになったねじ穴をどうしたら直るんだ?
このあと、中村さんがしばらく粘ってくれ、なんとか部屋を交換してもらった。
交換してもらった部屋も万全ではなくて、テレビがつかなかったんだけど、
前の部屋よりノープロブレムだったので良いとしよう。
この旅行中、私はかなり物事におおらかになったと思う。


閑話休題。
朝食のときだったか、ももちべさんの里子の話になった。
ルンタ・プロジェクトで支援している里子は、Gu-Chu-Sum という団体関連の子達である。
Gu-Chu-Sum は、チベット本土でチベット独立を求めるデモに参加したしたため、
中国政府より政治犯として刑務所に入れられたチベット人やその家族を支援する団体。
その団体に関連する子達であるため、里子には家庭事情が複雑な子が多いらしいのだが、
ももちべさんの里子の事情は更に複雑らしい。
ももちべさんが今回 Dharamsala に来た理由のひとつは、この里子の今現在の
行方がはっきりせず、それを確かめたいという思いからだったそうだ。

「彼女は、チベット本土にいるお母さんの元に帰ったらしいんですけど…」と言いながら、
里子の写真を見せてくれるももちべさん。見入る我々。
その1つの写真を見た現地ガイドの Thupten さんが、
「このアマラ(チベット語で『母』の意味。学校の寮母さんに対しても使うそうな)、うちの子の
アマラだよ」と言い出す。
Thupten さんは、更に、里子が友達と写っている別の写真をさして、
「だって、ここに写っているの、うちの子。」と言う。ビビる我々。
すごい偶然である。
うらるんたさんの『チベットを訪ねた日本人が、たまたま知り合ったチベット人に
「日本にいるチベット人の○○さん知ってる?」と聞かれたので、うらるんたさんの知り合いの
チベット人○○さんに聞いてみたら本人だった』という話
くらいの偶然。
チベット繋がりってこんな話が多いけど、それでもねぇ。
「だとすると、このアマラに里子ちゃんのことを聞けば、現在どうしているかわかりますね」
と、藤田さん。
「けど、この子、今も Dharamsala のTCV(Tibetan Children's Villages の略。)に
いるよ?」と
Thupten さん。

チベットに帰ったはずの子が、まだインドにいるなんてことがあるのだろうか。
TCV には午後に行くことになっていたので、そこでももちべさんの里子の消息をきっちり
調べることとなった。
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by miharu0211 | 2005-12-05 21:13 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(3)

d0016306_1936634.jpg11/21(月)続き。
この日、乗り込んだ列車。
寝台に使われた枕とシーツは、
朝になると列車から下ろされる。

この列車は、
前の日の昼に INDORE JN BG という駅を出て、
今日の夕方に終点 JAMMU TAWI へ着く。
30時間かけて、一体何km走るのだろう?
インドはとてつもなく広い。






窓から広がる風景は、ただただ大地と馬や牛などの動物と人、そして低い建物。
朝一、野外で用を足す人々も見てしまったこともあり(噂には聞いていたが)、
はじめは興味深く窓の外を眺めていたが、あまりの風景の変わらなさにだんだん飽きてくる。

昼の車内売り弁当もやっぱりカレー。
ここで、塩入りヨーグルト(しかも水っぽい)を食し、軽くショックを受ける。
マサラ味に飽きてきたのもこの頃。まだ1日半しか食べてないのにな。

時々やってくる売り子さんは楽しみの一つ。飲み物や食べ物、雑誌を売りに来る。
駅に停車している間に売りにくるチャイは、きちんと煮出したものなのでとても美味しい。
「チャーイチャイチャイチャイ…」なんて声が聞こえると、思わずそっちを見てしまう。
隣の座席にいる親子連れの子供が、売り子の真似をする。これがまたかわいい。
「さらっちゃうぞー」とももちべさん。めんこい男の子だったもんなぁ。

16時半、時刻表どおりにCHAKKI BANK 駅に到着。
パキスタンやカシミール地方に程近い(といっても100kmは軽くあるが)場所の駅である。
すごい場所に来たもんだ、としみじみする。
ここからタクシーで更に3時間進むと、やっと目的地 Dharamsala にたどり着けるのだ。
Dharamsala は広い。斜面に作られた街で、Lower・Middle・Upper と、
標高にあわせて3つの集落がある。そして、Lower と Upper は10kmも離れている。
Lower にはインド人が、Upper にはチベット人が多く住んでいる。
我々は4日間、Upper Dharamsala 通称 Mcload Ganj に滞在することとなる。


あともうちょっと…と意気込んで車に乗り込んだが、運転がこれまた荒い。
道が舗装されていないので、とにかく揺れる揺れる。兎に角怖い。
これだけ飛ばしたら、2時間くらいで着くのではないかと思ったが、
「この速度で3時間ですよ」と Thupten さんに言われ、げんなりする。
これでも、インドではかなりの安全運転らしい。信じられん。

街を抜け、未舗装の道を進み、州境の長い橋を渡って、更に街を抜け。
すっかり日が落ちた中、坂道をぐんぐん登る。
斜面の上の方に家々の明かりが見えてきた。
成田から30時間ちょっとかけて、やっと Mcload Ganj に着いた。
やっと来ることが出来た…という喜びが湧き上がってくる。
夜ながら店が営業中だった Lower に比べ、Upper はひっそりとしていた。


宿泊する Hotel Surya は、日本語訳だと「金持ちホテル通り」のような名前の
通り沿いにあった。
ホットシャワーの設備のある、インドでは良い部類に入る宿である。
ホテルの前では、今回の現地案内をしてくれる小川さんが待っていてくれた。
小川さんは日本で薬剤師の資格を取った後、Dharamsala に来て、
Men-Tsee-Khang(チベット医学暦法学大学)でチベット医学を学んでいる人。
チベット好きの間では有名な方である。
翌日より、小川さんには本当にお世話になることとなった。
彼と Thupten さんのおかげで、4日間、たくさんのモノを観る事が出来た。
一人旅だったら、とても無理だったであろう。

遅い夕食の後、小川さんに教えてもらったホテルの隣のインターネットカフェへ行く。
日本語が使えて、10分15ルピー。
ここで、ひとまず親と相方に、現地到着の旨を連絡する。
Dharamsala 滞在中、この店には毎日通うこととなった。


「旅にトラブルはつきもの」というが、ホテルではこの旅一番のトラブルが待っていた。
シャワーから湯が出ない。これはまだ許せた。
一度ドアを閉めると、内側からドアを開けられない。つまり、外に出られない。
これには困った。

既に夜遅いので、明朝に部屋を変えてもらうことにし、この日は床についた。
これまた長い長い一日だった。
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by miharu0211 | 2005-12-04 20:49 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(2)

11/21(月)
夜中に目が覚める。時計を見るとAM2:30。
日本時間では午前6時。いつも起きる時間に起きてしまった。
うらるんたさんももちべさんに悪いと思いつつ、カーテンをあけて街を眺めてみる。
ちょっとだけもやがかかったような街は、やはり異国の風景であった。
イラク戦争時のバグダッドの映像を観てるような感じか。


朝6時にはホテルを出て、NEW DELHI 駅へ向かう。
相変わらず空気は悪い。そして、街も汚い。が、このごちゃごちゃした雰囲気は気持ち良い。

6時半過ぎ、NEW DELHI 駅に着く。
駅の周りは既に人がいっぱいで、あちこちで寒さを避けるために焚き火をしていた。
我々の乗ったマイクロバスを見て、赤のジャケットを羽織った人が大量に車を取り囲む。
「赤の服を着ている人はポーターだよ」と Thupten さんが教えてくれた。
外に出ると、火にビニールをくべている様な悪臭にくらくらとする。
Thupten さんは既にポーターと金の交渉をはじめていた。

中村さんに続き、駅の中に入る。
ホームは、寝てる人やらライフルを抱えた軍の人やらチャイや時計の売り子やらすごい状態。
切符が無くても、どうもインドは駅の中に入れるらしい。
ここで初めて乞食と呼ばれる人を見た。
彼らは、服を引っ張って金をくれという仕草をする。
一人に金をあげると大量の乞食に囲まれる、と聞いたことがあったので
しばらくシカトしていると彼らは次のターゲットを求めて去っていく。
『低いカーストの人たちは、生まれた時点でその生き方しか選べない。』
昔、何かの本で読んだのを思い出す。
手や足の無い人もいた。同情を得てお金をもらいやすくするために、
生まれた時点で親が切ってしまう、という噂は本当なのだろうか?
今考えると、少しあげればよかったなとも思う。彼らから見れば『富める者』なのだから。

d0016306_19113440.jpg駅のホームでこんなものを発見。
明け方に撮ったので暗いですが、
実はこれ、体重計。
1ルピー硬貨を入れると、
切符のような紙が出てきて
体重を教えてくれる。
裏には身長ごとの男女の理想体重一覧表付。
気に入ったので、パチリと一枚。







1時間遅れで列車はやってきた。
荷物を持って、早速乗り込む。
席は2等寝台。エアコン付。
窓は開かない。しかも2重。
中村さん曰く、列車の外から強盗や売り子が入ってこないようにするためだと言う。
そういえば、1ヶ月ほど前に南インドで列車が川に落ちたとき、窓に鉄格子が入っていたため
多くの人が逃げられずに溺れ死んだ、というニュースを見た。
あのときは鉄格子の意味がわからなかったが、強盗除けだったのか。
ちなみに、列車には非常用に開けられる窓もついていたが、手順が複雑で、
すぐに開けられるような仕組みではなかった。
インドの列車、非常時に生き延びるのはとても厳しそうだ。

そして、インドの列車はアナウンスを一切行なわない。
何処の駅かは列車の外に出て確かめないと分からない。
あとは、タイムテーブルから推測するしかない。
駅に止まった列車がいつ出発するかも分からない。
出発時、ゆっくりと列車は出発する。
列車のドアは無い。
外に出ていた人は動く列車に乗り込む。
これ、日本でおんなじことをすると非難の嵐なんでしょうな。

何はともあれ、列車は CHAKKI BANK に向けてのんびり進む。
9時間の旅である。
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by miharu0211 | 2005-12-04 19:31 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(1)

11/20(日)続き。

Indira Gandhi 国際空港は夜だったこともあり、うっすら暗かった。
映画のフィルムを観ているようだ、が第一印象。
今思えば、照明が暗かったのだ。
日本の照明は夜でも昼並みの明るさを提供してくれるが、
空港の照明は今が夜だということを分からせてくれたのだった。

入国審査では一言も聞かれず、税関では記入した紙を渡すのみ。
案外楽にインドに入ることが出来た。
中村さんについて歩いていくと、空港の外へ着く。
いよいよ、評判の悪い空港外へ出るのだ。
ここの「3.滞在にあたっての注意」の(2)の(イ)を参照すると評判の悪さが分かる。

そこは、様々な名前を書いた紙を持ったインド人が大挙して押し寄せている所であった。
インド人に騙されないようにホテルからの出迎えを頼んだとしても、
1人では自分の名前を書いた紙を見つけられそうもない。
ツアーでよかった、としみじみ思う。

中村さんはすぐに出迎えを見つけたようだ。
出迎えてくれた人はチベット人ガイドの Thupten さん。
両親がチベット人、彼はネパール生まれで幼い頃に両親を亡くし、その後兄弟を頼って
インドに移住したのだということだった(と記憶している)。
彼は千葉の成田山に留学していたとのことで、日本語もペラペラであった。
なんと心強いことか。

少々のインド人に声をかけられつつも、無事マイクロバスに乗り込み市内へ。
運転手のインド人は、窓を開けたまま、かつ、冷房を入れている。
外は結構涼しいのに。それよりも、外は排気ガス臭いのに。
うらるんたさんももちべさんは早速マスクを装着している。
Dharamsala はそうでもなかったが、Delhi は兎に角空気が悪かった。
鼻をかむとティッシュに真っ黒の鼻水がつくくらい。
Delhi に行かれる方、間違いなくマスクは必須です。

カルチャーショックはまだまだ続く。
交通ルールが成り立っていないのだ。
2車線の路線に車が4台横に並んじゃってるくらい。
で、クラクションを鳴らす鳴らす。
車の運転も荒いし、なにより信じられないくらいの人がバスに乗っている。
やっぱ、インドはすげぇ。


本日の宿はホテルニッコー。インドの5つ星。
日本人ビジネスマンも多いらしく、ルピーへの両替も日本語で出来た。さすが日系。
ただ、ここのスタッフの英語は最後までさっぱり聞き取れなかった。
私の英語力の無さとスタッフの訛り、どちらが原因だろうか?
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by miharu0211 | 2005-12-02 18:22 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(0)

11/19(土)。
この日は、学生時代からの友人マゾ(注:友の呼び名)の結婚披露宴で八王子へ。
及川光博を新郎自らが踊る披露宴は初めてでしたよヲイ。
踊らせたのは、新郎の友人である我々だけど。
そして、私も新郎の後ろで踊ってた一人なのだけど。

披露宴のみで帰るつもりが、調子に乗って2次会まで参加し、
ホテルに帰ったのは午前2時近く。
ぐだぐだのまま、出発当日を迎える。


11/20(日)。
日暮里で相方と別れ、スカイライナーで成田空港へ。
私も相方も日本国から抜け出したことがない。
初海外ということで、それなりにしんみりとした良い別れをする。
ここまでは本当によかった。


京成の駅を出て、成田空港に入ろうとしたとき、マズイことに気が付く。
目の前に掲げられた看板に書かれた一言。
『成田空港に入るにはパスポートなどの身分証明証が必要です』

パスポートはインド査証の申請のため、添乗員の中村さんに預けてある。
免許証等は「落としたらいけない」と思い、全て相方に預けて来てしまった。
すなわち、身分証明できるモノがない=空港に入れない。
一瞬、途方に暮れる。
まさか、此処でボケをかますとは orz

寝不足の頭で、必死に空港に入る方法を考える。
待ち合わせ時間まであと30分。
ふと、携帯を持ってきたことに気付く。
本当は持ってきたくなかったのだが、帰国時に相方に連絡を取るため
しぶしぶ持ってきたものである。
慌てて、風の旅行社に電話をし、中村さんの携帯番号を確認。
電話して事情を話し、救出を請う。

5分後、笑いながら中村さん登場。
パスポートを返してもらい、ようやく空港に入れたのであった。

本来の待ち合わせ場所である第2ターミナルへ行くと、かねてからの宣言どおり
見送りに来てくれた風来坊さんに「空港からボケかますとは」と言われる。
私も此処ではかましたくなかったっす。


出国審査や荷物預かりなどをどきどきしながら行ない、いよいよ搭乗口へ。
そこで、飛行機の出発時間が予定より15分早まっていることに気付く。
噂には聞いていたが、恐るべしエアインディア。乗り遅れたらどうするんだか。


今回の飛行機は Delhi 直行便。12時間(で良いんだっけな?)の旅である。
機内食のノンベジ+肉メニューはカレーだし、
放送もヒンディー語+英語だし、
機内で流れる映画もマサラムービーてなヤツだし、
雲の上に突き出したヒマラヤを見ることも出来たし、
私はすこぶる上機嫌であった。

斜め前のインド人らしきお姉さんが、携帯を読書灯代わりにして本を読んでいたのを
除けば、ね。あれは怖かった。

エアインディア情報をあとひとつ記すと、
『エアインディアでは、Delhi に着く前に機内で殺虫剤が散布される』という噂話は、
どうも事実だった模様。
デリー着陸1時間ほど前に、何かの液体を客室乗務員が散布するのを目撃する。
あれはやっぱり殺虫剤?


夜8時半過ぎに Indira Gandhi 国際空港に着く。
暑くはないものの、Delhi の空気は少し澱んでいるように感じた。
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by miharu0211 | 2005-12-01 21:58 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(序)

さて。何度も書いておりますが、11/20~27の日程で北インドの Dharamsala という
ところに行ってきました。

今回のメンバーは、ルンタ・プロジェクトというNGOの関係者で成り立っています。
このルンタ・プロジェクトとは、Dharamsala に居るチベット難民の支援を行なっている
団体です。
チベット難民とは何か(ルンタ・プロジェクトのHPより)

私は数年前から、このルンタ・プロジェクトに参加させていただいておりまして、
1人の女の子の教育里親として、学費の支援を微力ながらさせていただいております。
その関係で、一度チベット亡命政府のある Dharamsala へ行ってみたいと思っていました。
が、Dharamsala はとんでもなく遠い。なかなか叶いませんでした。

今年、幸運なことに、ルンタ・プロジェクトの日本側スタッフうらるんたさんと、
同じく教育里親のももちべさん、そして風の旅行社中村さんという素晴らしい添乗員さんと
一緒に、Dharamsala へ旅立つこととなりました。有難や有難や。

たった8日間の短いインド旅行ですが(しかも目的地はチベット人の居住区)、
関係する皆様への報告がてら、いろいろ記して行きたいと思います。

2005/12/04 追記:
インドの地名・チベット関係の名称等は、発音の問題+のちに自分でぐーぐるさまの
お世話になるときに検索しやすいよう、アルファベット表記に統一することにしました。
カタカナで書くとなんか変ですし。
ご了承願います。スペルミスの指摘大募集。
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by miharu0211 | 2005-12-01 20:26 | 北インドへの道