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ダラムサラ旅行記(13)

11/24(木) まだ続く。


d0016306_1712499.jpg夕方、絨毯工房へ。

絨毯というとペルシャというイメージだが、
チベットでもさかんらしい。
ペルシャの絨毯が繊細なのに比べて
チベットの絨毯は頑丈なのだそうだ。
スノーライオンの柄の絨毯が格好良かった。

ここも、難民の職対策のために
作られた工房だと聞いた。

難民の職探しはとても大変そうだ。





続いて、小川さんの知り合いのチベット占星術の先生のところへ。
ご夫婦共に Men-Tsee-Khang のご出身で、
旦那さんは医者、奥様は占星術の占いを専門とされている。
占い結果を英語で記してくれる先生はなかなかいないらしい。
「主に占って欲しいことを2つあげてください」とのことだったので、
前世と相方との結婚運をお願いする。
「結婚運が悪くても、それを克服する方法を書いておきますから」と先生。
参考にさせていただきますわ。

さて。仏教は輪廻転生という教えがある。
これは、ぶっちゃけると肉体が死んでも魂は生きていて、また新しい肉体を手に入れて
生まれ変わっていくという考え方である。
ただし、毎度毎度人間とは限らない。毎回人間で生まれてくるのは、ごくごく一部の
偉いお坊さんのみとされる。
我々のような一般人が現在人間として生まれているということは、
前世でものすごく良い行ないをしたからだと考えられているそうである。
はて、前世で私がどんな行ないをして人間に生まれ変わったのやら。

Thupten さんによると、チベット人は自分の前世をとても気にするらしい。
その前世によって、自分を守護してくれる仏様がわかるからだそうだ。
守護してくれる仏像を購入すると、来世でも人間になれるとか。

結果判明まで2ヶ月かかるそうなので、静かに待ちたいと思う。
個人的には、水辺の動物のような気がしている。
サンショウウオがいいなぁ。


夕飯前にルンタハウスへ。
今日は、風来坊さんの里子とご両親が来られていた。
風来坊さんのところの里子くんは悪ガキっぽい。
お土産の車をとても喜んでいた。
あとひとつのお土産、黒ひげ危機一髪の使い方はわかったのだろうか。

お客さんはそれだけでなかった。
Ten-Dol のお母さんがまた来てくれていた。
わざわざ贈り物を持ってきてくれたのだ。
綺麗な柄のストール。
暖かくて、現在重宝している。
今年の冬はこれで乗り切れそう。
お母さん、本当にありがとう。


夜は、Gu-Chu-Sum の前代表 Yeshe Togden 氏 と現代表 Ngawang Woebar 氏
会食。楽しいときを過ごす。
Ngawang 氏は元学校の先生だったらしく、長く Dharamsala に滞在できた場合には
我々にチベット語を教えてくれるという。
けどね。宿題忘れたら、教科書の前で五体投地の罰だってさ。
イラクサじゃないだけましか。
それ以外にも、いろんなことを教えてくださった。
慈悲の心のことだとか、悩み事の対処法とか。
とても気さくな方々だった。すっと心の軽くなるような気がした。
ありがたやありがたや。


この日、ひとつ残念なことがあったとすれば、砂マンダラ破壇の儀式(マンダラを壊す)と
その砂を川に流す儀式が既に終わっていたらしいということがわかったこと。
ただ、いまいちはっきりしないので、明朝に一か八か、砂を流す川に行ってみることになった。
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by miharu0211 | 2005-12-12 17:50 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(12)

11/24(木) 続き。

小川さんお勧めの法王チェックポイント、
Men-Tsee-Khang 前のヘアピンカーブにて、法王を待つ。

朝8時頃から、あちこちでチベット人がのんびり法王の戻りを待っている。
我々は、法王事務所に知り合いのいる Thupten さん経由で「10時半頃戻る」と
分かったためそこまで待たずに済んだのだが、他のチベット人は時間すらよく分からぬまま
「いつかお戻りになるだろう」くらいの気分で待っているらしい。
おばあちゃん達は花を一輪手に持ち、歓迎の意を示している。
他にも、カター(白い布。これを示すことで相手への敬意を表すそうだ。)を持った人や
線香を焚く人など、それぞれがそれぞれの形で法王への気持ちを示している。
日本人一行も、カターを手に持ち線香を焚いて法王の車を待つ。

ここでの待ち時間に、Dharamsala 在住の日本人ユミさんと出会うことができた。
彼女はタンカ(仏画)を学んで3年になるという。チベット人の先生についているんだそうだ。
あとでユミさんのタンカを見せてもらう約束をする。


待つこと1時間。
インド軍の先導で法王の乗られた車を見る。
車はあっという間に通りすぎていった。
偉い人というと後部座席に乗るイメージがあるが、法王は何故か助手席。
にこやかに手を振られる姿を見ることが出来た。

3度目の拝見はあっという間だった。
けど、良い気分であった。


昼前に、どうしても覗いてみたかったレセプションセンターへ。
この施設は、亡命してすぐの人たちが収容される駆け込み寺のような場所である。
最大2ヶ月まで此処に滞在することが出来る。訪ねたときは151名もの人がいて、
中には数日前にやってきた人達もいた。
宿泊部屋は2部屋あり、男女別れて生活している。
ここにいる間に、その先の生活手段を彼らは見つけなければならない。
とても厳しい現実。逃げてきた後が大変なのだ。
数年前にここを見学したうらるんたさんによると、
前に比べるととてもきれいになったそうだが、それでもベッドが所狭しと並べられた
宿泊部屋はちょっとショックであった。
ここの屋上には簡易教室があり、子供達とボランティア+職員の女性が
コミュニケーションをとっていた。
たまたまそこに訪ねてきた女性に尋ねたところ、法王の姿を拝見するためと
子供をTCVに通わせるためにチベット本土から来たばかりだという。
チベット本土では子供を学校に通わせるのが大変なんだそうだ。

冬のほうがヒマラヤに雪が積もって見つかりにくいため、亡命する人が増えると聞いた。
この施設はこれからが大変なんだろうな。


午後、ユミさんの滞在しているゲストハウスへ。
此処にも、日本人が里親をしているチベット人の子のお母さんがいた。
子供6人のうち3人は親戚の子を育てているのだそうだ。
インドへ逃げた親戚に子を預ける人が多いらしい。
レセプションセンターで会ったお母さんと同じく、チベット本土では教育が受けられないことが
多いからだろうか。優しそうな方だったが、実は肝っ玉なお母さんなのであった。

d0016306_1538526.jpgごめんなさい…
またボケてますが、
これがユミさんの作品。
ものすごく綺麗な仏画。

タンカを極めるには7~8年は
修行しなくてはならないそうだ。

芸術の道は果てしなく厳しい。

訪ねたときは、聖人ミラレパの
下書き中だった。

ミラレパといえば。
イラクサという触ると腫れる草を
この聖人は常に持っているのだが、
チベット人の子供達は親に
「勉強しないとイラクサの中に
投げ込むよ!」
と脅されるそうな。
日本で言うところの「悪い人にさらわれるよ!」みたいなものか。
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by miharu0211 | 2005-12-12 15:50 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(11)

11/24(木)。

今日はダライ・ラマ法王がアメリカから戻られる日。
Dharamsala の近くには Gagal 空港という小さな空港があり、週に3回だけ
Delhi からプロペラ機が就航している。
法王はそれに一般人と一緒に乗って Gagal まで飛び、そこからは車で Dharamsala まで
戻るのだそうだ。
法王らしいなぁ、と思う。



d0016306_1303520.jpg法王が戻られるということで、
街中は清掃され、更に仏教の5色の旗や
チベットの国旗などで飾られていた。

チベットの民族衣装チュパを着た人も多い。
話がずれるが、ももちべさんは旅行中に
チュパをオーダーメイドしていた。
チュパレポをお待ちしております。

中村さんによると、チベット本土や
ラダックから来たらしき人々もいたとの事。
チュパの生地や着こなし方で
分かるらしい。
さすが、中村さん。



法王が戻られるという10:30迄のあいだに、
小川さんの通うMen-Tsee-Khang(チベット医学暦法学大学)へ。
ここは名前のとおり、チベット医学とチベット暦を計算するための占星術を学ぶための
学校。エリートの集まる学校である。5年制だそうだ。
予断だが、西暦2005年はチベット暦2132年。

Men-Tsee-Khang の中には、教室・学生寮の他に病院や博物館、製薬工場もあり
ここで作られた薬を販売している。薬といっても、普通の内服薬のほかにお茶や
クリーム等も作っていて、チベット人のお店で SORIG というブランドがあれば
Men-Tsee-Khang の製品である。
強壮剤や痩せ薬もあったようだが、その効果はどうなんだろ。

まず、博物館を見学。
小川さんの解説でいろいろ面白い話を聞くことができた。
「消化不良などの胃の不調には、ざくろが効く。」とか。勉強になった。
博物館では、チベット医学の概念やその歴史、薬に用いる薬草や鉱石、薬などが
展示されている。
現在ここで作成されている薬の中にも、日本では毒草とされるトリカブトや、
中毒性のある水銀などの鉱石が少量用いられているそうだ。
日本でも、昔は朝鮮アサガオが麻酔薬として使われていたそうだし、
少量なら効果もあるのかもな。

d0016306_14165954.jpgMen-Tsee-Khang の薬。
チベット暦8月の満月の日に
月の明かりの下で作成され、
その後に法王が儀式を行ない
力を入れたものらしい。

これは処方箋が無いと
入手不可能。
この文字はウチェンという
チベット語の活字用書体
…かな?


法王が戻られるまでもう少し時間があったため、病院へ。
ももちべさんが診察を受ける。
アレルギーの診断を受けたそうで、食物の注意点とともに2か月分の薬を処方されていた。
ももちべさんの診察レポ
むかしなつかし丸薬なので、飲むのが大変らしい。

Men-Tsee-Khang の学校は試験中で、学生さんが真面目に暗記作業をしていた。
小川さんもこの次の日に試験予定だったのだが、その試験とは
『教官4人の前で、この時期にかかりやすい病気とその対策について語る(時間:75分間)』
というとてもハードな内容。

こんな忙しい時期にガイドしてくださった小川さんには本当に感謝しております。
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by miharu0211 | 2005-12-12 14:40 | 北インドへの道

備忘録

・高千穂鉄道
土曜の西日本新聞によると、全線復旧を断念したそうだ。
部分復旧も赤字の関係で結構厳しいとの事ですが、なんとか復旧の道を
模索してほしい。

・松川儒(まなぶ)さん
福岡ホスピスの会のチャリティイベントで、土曜にテナー歌手岡村喬生さんのコンサートに
行く。
いい声でした。感謝。
母はピアノの松川儒(まなぶ)さんが気に入ったらしい。
「CDが欲しい」と言われたが、ソロでは出してない様子。

・Inbal Pinto Dance Company
日曜のNHK教育「芸術劇場」より、『ブービーズ』『オイスター』を観る。
とにかく気に入った。夢を見ているような舞台だった。
イスラエルの集団らしい。今度は直接観たい。
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by miharu0211 | 2005-12-12 12:53 | のほくらし

ダラムサラ旅行記(10)

11/23(水) もう少し続く。

うちの里子の話を少し。

うちの子、ニックネームは Ten-Dol。
女の子。現在14歳。Mussorie にある TCVの6年生。身長約130cm。
9歳のときに、中国に占領されたチベットのラサからインドへ両親と逃げる。
その際に、凍傷で足を負傷。手術を受ける。
10歳の夏、父親が結核で死亡。
母親は、Dharamsala でゴミの収集をしながら一人娘を育ててきた。

これが、11/23までに私が得ていた情報。
実は、里子にいくら手紙を送っても返事が全く来なかったため
里子がどんな子なのか私は全く知らない。


夕方、ルンタハウスへ。
里子のお母さんと会う。
お母さんは、小柄な可愛らしい感じの方。
身長は140cmくらいだろうか。
Ten-Dol の背が小さいことが気になっていたのだが、
単に遺伝かもしれない。

お母さんはこの春に、部署異動によりゴミの収集業から、
デスクワーク中心の仕事に変わったそうだ。
体力を使う仕事は女性にはきついだろうから、ちょっと安心する。

今まで確認できなかったことを色々尋ねる。
Ten-Dol の凍傷はひどかったようで、今でもときどき痛むと言う。
それ以外は元気らしい。
将来はチベット語の教師になりたいんだそうだ。素晴らしい。
「それだったら、バナナシの大学が良いよ」と Thupten さんが教えてくれる。
大学かぁ。高校まではしっかり支援しようと思っているが、
そのあとはどうすれば良いのやら。大学はお金がかかるよね…

さて、肝心の手紙の件だが、里子に届いている気配がないことが発覚。
お母さんには一言も報告がなかったらしい。
3年で相当な数の手紙をおくったんだが orz
「アマラ(寮母さん)があまり信頼できない人で、渡してくれてないのだと思う。」とのこと。
まぁ、そういう人が居てもおかしくないか。

手紙関連でショックなことはまだまだ続く。
ルンタハウスの直子さんがここ1年に私宛に送った手紙も届いていないことが分かる。
インドの郵便配達員め…
どうも、封筒で送ると中身を取られることがあるらしい。
別の里親さんで、中身を全て取られて封筒だけ届いたこともあったという。
今後、荷物をお母さん宛に送るとしても、荷物をどう守るかは課題となりそうだ。

「神様のお導きであなたと会えた。本当にありがとう。」と、お母さんに言われ、
すっかり恐縮してしまう。うらるんたさんの導きで Ten-Dol と会えたわけであるので、
私はうらるんたさんに感謝したい。

帰り際、お母さんの年を失礼ながら尋ねてみる。
37歳ですって…23歳のときのお子様ですか。うーむ。

更に、ルンタハウスに住んでいる Ngawang Wangdon さんのところへ。
彼女は、数年前来日直前に交通事故で大怪我を負い、うらるんたさん
体調を心配していた女性。
かなり痩せていたものの、にこやかな笑みに少し安心した。
近況を含めていろいろ話したが、一番気になったのは尼僧さんを襲う男性がいる、
という話。Lonely Planet にも書いてあったが、Dharamsala での婦女暴行話は
少なくなさそうである。別の人からも同様の話を聞いたし(この1週間前も事件があったそう)。
夜は真っ暗になるので、女性の方はお気をつけて。


夜、つい先日チベットからインドに抜けてきたというミキヨさんという女性と
食事をご一緒させていただく。
中村さん曰く、「まず外国人は乗ることの出来ない」バスに乗って来られたんだそうだ。
そういえば、チベット本土は現在、個人旅行は出来ない決まりになっているらしい。
その中を移動してくるなんてすごいなぁ、とみんなでしみじみ。

彼女は、アジアのあちこちを旅して、写真を撮ってまわってられるそうだ。
日本に帰って彼女のホームページをじっくり見たが、
チベット本土にいきたくなるような写真がたくさんあった。

スノーライオンの旗がなびくポタラ宮に行きてぇ。
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by miharu0211 | 2005-12-09 00:53 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(9)

11/23(水) まだまだ続く。

Norbulingka 見学中にルンタハウスから電話。
里子のお母さんと夕方に会えることとなる。

それまで時間がちょっとあったので、近くにある Dolma Ling 尼僧院へ。
宗派を問わず数百名の尼僧の方が此処で生活している。
チベットから逃げてきたお坊様は、インドでも宗派毎に寺を復興させているそうなのだが
尼寺は元々の尼僧の人数が少ないため、なかなか宗派毎に復興させることが出来ない。
そのため、宗派を問わない形で寺を作ったそうだ。

祭日だったため、寺内に人は少ない。

建物の中にお邪魔し、図書館に入ったところ
中で作業をしている人達が居た。
お邪魔して作業を見せてもらう。

d0016306_22592411.jpg尼僧さん達が作っていたのは
砂マンダラ。

12月に Dolma Ling 尼僧院へ
ダライ・ラマ法王が
初めて来られるそうで、
その歓迎のための
観音菩薩の砂マンダラを
8日間かけてつくるそうだ。
写真は3日目。

作業は朝9時から夜10時まで。
なんと13時間。

尼さん作成の砂マンダラは
珍しいそうだ。

右は上のマンダラの拡大図。d0016306_2341495.jpg
これが全て砂だとは信じられない。

緻密な世界にとても惹かれる。

これだけ時間をかけて作ったものも、
数週間後には川に流されてしまう。

そのうつくしさ、はかなさが
桜の花に通じるような気がしませんか?

余談ですが、インドはちょうど桜の季節。
Lower Dharamsala で
桜を眺めてきました。




彼女達の側では、尼さんが一人マンダラを作るための練習をしていた。
早い人でも5ヶ月くらい練習しないと、上のようなマンダラを作ることは出来ないそうだ。
タンカと同じく、職人技である。
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by miharu0211 | 2005-12-08 23:10 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(8)

11/23(水) 続き。

昼前に、Lower Dharamsala にある
NYINGTOB LING (チベット人障碍児のための施設)へ。
Norbulingka(チベット文化センター)とともに、
この施設はチベット人の生活地域から少し離れたところにある。

d0016306_2162335.jpgNYINGTOB LING は
寄宿制で、現在48人の
子が住んでいる。
学校やリハビリなどを
行なう部分と
手芸品を作って販売する
実業的な部分があり、
日本で言うところの
養護学校と共同作業所を
合わせたような施設、
みたいな感じ。


職員の数も多い。
また、ドイツから来たボランティアの女性もいた。
その方は、コンピューターのクラスを担当されていた。

上の写真は、お香を作っているところ。
事前に申し込めば見学可能とのこと。
日本からの見学者は少ないらしい。残念。


続いて、Norbulingka へ。
チベット文化の継承を目的とし、工芸制作者の育成を行なっている施設である。
ここの入学試験も倍率が高いそうだ。
タンカ(絵・布)の制作をしている人々を見学する。
タンカ欲しいなぁ。はぁ。

Norbulingka の寺の中では、ちょうど来年のカーラチャクラの準備をはじめていた。

ちょっと横にそれますが。d0016306_2122285.jpg
カーラチャクラとは
チベット仏教で最上位の教えのひとつ。
ダライ・ラマ法王から教えを受け
灌頂を受けるために
世界中から10万人以上の人が
集まる。

来年のカーラチャクラは
南インドの Shri Dhanyakataka という
仏陀が初めて説法した土地で行なわれる。

この色使いがたまらなく好きだ。
ほんに美しい。




Norbulingka には、他にもレストランや博物館もあって、見所たくさん。
寺の壁に書かれたタンカも見事で、長い時間居ても飽きない。
オススメの場所である。
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by miharu0211 | 2005-12-08 21:44 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(7)

11/22(火)の夜遅く。
ルンタハウスにあるマシンのネットワーク設定関係で、日本在住の
システム屋数名の携帯宛に Dharamsala からメールする。
メールを送った皆様、ご迷惑をおかけしました。本当に助かりました。
「生きていたか?」「道に迷ってないか?」「人に迷惑をかけてないか?」など
有難い言葉もたくさんいただきました…同行者がいるって言ったんだけどな。


11/23(水)。
今日はチベット暦では『お釈迦様が天から帰ってきた日』という祭日。

朝早く起きて、中村さんうらるんたさんももちべさんと Tsuglagkhang のリンコル(巡礼路)を歩いてみることにする。

d0016306_19315317.jpgリンコルでの1枚。
坂道が多く歩きにくい道である。
道沿いの石には、真言が彫られている。

写真に写っているのはお坊様。
チベットでは、この色はお坊様カラー。

ふらふらしながら必死で歩く日本人の隣を
チベット人の爺様婆様が追い抜いていく。
マニ車を回しながら読経して歩いてる
爺様にまで抜かれる始末。

次の日、一番若い私だけが筋肉痛に。
情けない。



リンコルの途中のお堂では、お坊さんが読経していた。
お堂の道向かいの小高い丘には、石塔や石灯籠があって、
丘のてっぺんにはたくさんのタルチョが風になびいている。
老若男女問わず、たくさんの人が祈りをささげている。
お坊様と一緒に読経したり、
石灯籠の中の火に日本でいうところの抹香の様なものや油をくべたり、
米を撒いたり、石塔にお祈りしたり、タルチョをくくりつけたり。
昨日、Tsuglagkhang にて、嫌がる4歳くらいの孫に
無理やり五体投地のようなことをさせている爺様を見たが
(とても微笑ましい光景だった)、
チベット人の生活の中には本当に仏教が根付いている。
チベット人の真似をしながら、同様に祈りをささげる。

右の写真は紙ルンタ。d0016306_19545745.jpg
タルチョ(経文旗)と同じものが
印刷された紙を
空へ投げる男性と子供。
とても美しかった。

読経の後、皆が一列に並び、
神に捧げる歌を歌い、
儀式は終わった。
鳥肌が立った。

本当に良いときに Dharamsala に来た。





朝食後、ルンタハウスへ。
ここでレストランを仕切っている直子さんが、私の里子のお母さんに
昨日から懸命に連絡をとってくれようとしていた。
が、なかなか調整がうまくいかない様子。
今日は、朝から電話が通じないらしい。

NYINGTOB LING(チベット人障碍児の為の施設)へ行く前に、
お母さんの家に寄ってみるが、お母さんはやはり居なかった。

小さい家だった。
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by miharu0211 | 2005-12-08 20:22 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(6)

11/22(火)まだまだ続く。

リチャード・ギア氏御用達のホテルを少し見学。
彼やジェット・リー氏はちょくちょく Dharamsala へ来るらしい。
Kangra 空港(Dharamsala の近くの小さい空港)に自家用飛行機なのかねぇ?

昼少し前に、難民自立支援施設「ルンタ・ハウス」へ。
ここは、ルンタ・プロジェクトが 、Gu-Chu-Sum と共同経営している施設で、
今回の旅で一番お邪魔したかったところの1つ。
中には、Dharamsala で唯一の日本食レストラン(チベット人が多く働いており、
彼らの貴重な収入源となっている)や手工芸工房、難民向け教育施設などがある。

ルンタ・レストランは12時開店。
ベジタリアンメニューのみだが、日本食が食べられる貴重なお店として人気があるそうだ。
お好み焼きやかきあげうどん、納豆を食べられるし、緑茶も飲める。
ちなみに、この日の日替わりメニューは
・海苔巻
・味噌汁
・じゃがいものにっころがし
・おひたし
だったと記憶。
この海苔巻に使われているわさびは、日本から、うらるんたさんが運んできたもの。
今回も差し入れをバッグ4つか5つ分持って来られていた。本当にお疲れ様です。

此処には、お座敷もあるし、日本語の本もたくさんあって、何より日本語が通じる。
旅の途中で日本が恋しくなったら此処は良いかもしれない。
パンやケーキ等の甘味も充実してますぜ>女性の皆様

レストランの隣には手工芸工房で作られたバッグや洋服等の販売コーナーもある。
此処で買ったバッグは、母に大好評であった。

その他、ルンタ・レストランにはシルクスクリーン印刷で様々なデザインをプリントした
Tシャツも売ってあった。
デザインを持ち込んだら、オリジナルTシャツも制作可能とのこと。
興味がある方は、是非ルンタ・プロジェクトまでご一報を。


午後からは Dharamsala のTCV(Tibetan Children's Villages)へ。
TCV は、インド国内に複数作られた寄宿制のチベット難民用学校。
小学校から高校までが付属しており、両親のいない子は無料で教育を受けることが出来る。
私の里子は Mussoorie というところの TCV で学んでいる。

TCV では、まずももちべさんの子の消息をたどるべく、
Thupten さんの案内で写真のアマラ(寮母さん)を訪ねることとした。
寮へ到着すると、Thupten さんが一言。
「ほら、写真の子、ここにいるよ。」
本当に、そこにはももちべさんの里子がいた。
チベット本土に戻ったはずなのに、何故??

ここの TCV は、Dharamsala から車で20分ほど上にあがったところにある。
ももちべさんの里子の環境は本当に複雑で、
彼女がチベットに行かずにインドに残ったことを街に住む大人が把握できなかったらしい。
小学校2年で大人の事情に巻き込まれている彼女が、本当に不憫であった。

ももちべさんと里子ちゃんの対面が無事叶った所で、我々は TCV のオフィスへ。
『TCV では、両親のいない子は無料で教育を受けることが出来る』と先程書いたが、
両親のいない子には、ここのオフィスが代わって海外の善意ある人の中から
その子のスポンサーを探すのだという。
ここのオフィスの本棚には、世界のあちこちの国の名前が書かれたファイルが
置いてあった。
無事スポンサーを見つけた子は、年に何度もスポンサーへお礼の手紙を書く。
年に1度の運動会には、世界中からスポンサーが里子の様子を見に訪れるそうだ。
TCV のスポンサー制は本当にすごいものだった。ちょっと感動。

ちなみに、私の名はスポンサーとして Mussoorie の TCV には登録されていない。
基本的に、ルンタ・プロジェクト経由の里子は親がいる子達なので、表向き親が
学費を納めている。
しかし、学費は年間100ドルちょっと。いや、150ドルだったっけな。
どっちにしても、仕事の少ないチベット難民の親には高額である。
#1ドル=120円、1ルピー=2.5円とすると、
#100ドル=12,000円=4,800ルピー。
#150ドル=18,000円=7,200ルピー。
#月に3,000ルピーの給料で収入の良い部類に入るようなので、
#やっぱり高いよね…
よって、その学費の肩代わりをしていることになる。
うちの子、一昨年に父親を結核で亡くして今は母一人子一人だしね。
大変だと思うのですよ。
ママンの役に少しでも立っている、と思うと嬉しいわけで。

このあと、付属の学校を見学。
d0016306_010429.jpgここは幼稚園。
行った時は、90名の悪ガキが大暴走中。
保母さんは、散らかったブロックを集めるのに
箒を使用していた。ナイスアイデア。

話は変わりますが。
TCV では恋愛禁止らしいが、
高校の体育館に相合傘がちらほら
書いてあった。
遥か昔に通り過ぎた青春を感じた。
いいねぇ、青春。
体育館裏で逢瀬ですよ。
ふふふふふ。




夜は、Gu-Su-Chum の前代表 Yeshe Togden 氏と会食。
現在チベットがおかれている状況について、色々話す。
クショラ(チベット語でお坊さんの敬称)にも、この旅行中はお世話になりっぱなしだった。
良い方にめぐり合えたと思う。これも縁なるものかな。
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by miharu0211 | 2005-12-06 00:37 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(5)

11/22(火)続き。

午前中は、ダライラマ法王お膝元の寺 Tsuglagkhang へ。
ここには、法王の公邸もある。
法王が Dharamsala にいらっしゃるときは、此処で謁見が可能なのだが
あいにく法王はアメリカ訪問中で、今回は謁見できなかった。
法王は24日に Dharamsala に戻られるそうだ。

早朝にホテルの部屋から道を覗いた時、まだ暗い道を多くのチベット人が
どこかに向けて歩いて行っていたが、彼らはこの寺へ朝のお祈りをしに出かけていたらしい。

チベット人は、本当に敬虔な仏教徒である。
例えば、輪廻転生を信じる彼らは、自分の体を刺す蚊でさえ殺さないのだそうだ。
「もしかしたら、この蚊は自分の前世で親だったかもしれない」と思うからなんだとか。
ゴキブリを一撃でしとめる私の話など、とても出来ない。
それに、どこにでも寺を建てる。
今回訪問した学校や養護施設等の敷地には、必ず豪華な寺が作られていた。
しかも、学校よりも先に寺を作るらしい。
すごいと思いませんか?

Tsuglagkhang では法要が行なわれていた。
d0016306_21455950.jpgピンボケ写真で恐縮ですが、
ここに写っているお坊さんは
ダライラマ法王の直属部隊。エリート集団である。

この奥には、砂マンダラもあった。
この法要は、砂マンダラに
神様を降臨させる儀式らしい。

一連の儀式は、
砂マンダラを作り、
そこに神を降臨させ、祈りを行い、
最後に砂マンダラを壊し、砂を川に流す、
という手順で行なわれる。
全てのモノはいつかは無くなるのだ、
という仏教の概念に適っている。

チベット暦で明日は『お釈迦様が天国の母親に会いに行って地上に戻ってきた日』という
祭日なので、それ関係の法要ではないか、と小川さんが教えてくれる。
なんとタイミングの良いことだろう。滅多に見られないものをおかげで見ることが出来た。
本当にラッキーとしか言いようが無い。


法要の見学後、Thupten さん(だったかな?)が
「Tsuglagkhang で、チベット名をもらえるところがありますよ。」と教えてくれたので、
みんなで行ってみることにする。
チベット名をもらう儀式の手順は下のとおり。
①今の名前をお坊さんに言う
②お坊さんはこっちの性別を見て、男性用女性用のカードの山を選ぶ
③ぶつぶつ①で教えた名前を唱えながら、お坊さんが②のカードの山から1枚を選ぶ
④そこに書いてあった名前がチベット名となる
…かなり簡単な儀式です。

d0016306_22232091.jpg右が今回もらった
私のチベット名。
"Tenzin Dekyong" と読む。
"Tenzin" は法王の本名から
"De" は 『幸せ』、
"kyong" は 『保護する』。
#と教えてもらいました。
ウメー(草書体)?


Dharamsala の街を少し歩く。
チベット語教室やヨガ、霊気(ってなんだろう?)のポスターがたくさん貼ってある。
数ヶ月滞在しても飽きなさそうな感じだと思いながら、更にポスターをあれこれ覗くと、
『Save Tibet』『Free Tibet』と書かれたポスターや
世界最年少の政治囚 パンチェン・ラマ11世のポスターも混じって貼られていた。
此処は逃げてきた人達の街なんだな、と改めて思う出来事だった。

ゲンドゥン・チューキ・ニマ君、今、中国の何処に監禁されてるんでしょうな。
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by miharu0211 | 2005-12-05 22:33 | 北インドへの道