カテゴリ:北インドへの道( 34 )

ダラムサラ旅行記(10)

11/23(水) もう少し続く。

うちの里子の話を少し。

うちの子、ニックネームは Ten-Dol。
女の子。現在14歳。Mussorie にある TCVの6年生。身長約130cm。
9歳のときに、中国に占領されたチベットのラサからインドへ両親と逃げる。
その際に、凍傷で足を負傷。手術を受ける。
10歳の夏、父親が結核で死亡。
母親は、Dharamsala でゴミの収集をしながら一人娘を育ててきた。

これが、11/23までに私が得ていた情報。
実は、里子にいくら手紙を送っても返事が全く来なかったため
里子がどんな子なのか私は全く知らない。


夕方、ルンタハウスへ。
里子のお母さんと会う。
お母さんは、小柄な可愛らしい感じの方。
身長は140cmくらいだろうか。
Ten-Dol の背が小さいことが気になっていたのだが、
単に遺伝かもしれない。

お母さんはこの春に、部署異動によりゴミの収集業から、
デスクワーク中心の仕事に変わったそうだ。
体力を使う仕事は女性にはきついだろうから、ちょっと安心する。

今まで確認できなかったことを色々尋ねる。
Ten-Dol の凍傷はひどかったようで、今でもときどき痛むと言う。
それ以外は元気らしい。
将来はチベット語の教師になりたいんだそうだ。素晴らしい。
「それだったら、バナナシの大学が良いよ」と Thupten さんが教えてくれる。
大学かぁ。高校まではしっかり支援しようと思っているが、
そのあとはどうすれば良いのやら。大学はお金がかかるよね…

さて、肝心の手紙の件だが、里子に届いている気配がないことが発覚。
お母さんには一言も報告がなかったらしい。
3年で相当な数の手紙をおくったんだが orz
「アマラ(寮母さん)があまり信頼できない人で、渡してくれてないのだと思う。」とのこと。
まぁ、そういう人が居てもおかしくないか。

手紙関連でショックなことはまだまだ続く。
ルンタハウスの直子さんがここ1年に私宛に送った手紙も届いていないことが分かる。
インドの郵便配達員め…
どうも、封筒で送ると中身を取られることがあるらしい。
別の里親さんで、中身を全て取られて封筒だけ届いたこともあったという。
今後、荷物をお母さん宛に送るとしても、荷物をどう守るかは課題となりそうだ。

「神様のお導きであなたと会えた。本当にありがとう。」と、お母さんに言われ、
すっかり恐縮してしまう。うらるんたさんの導きで Ten-Dol と会えたわけであるので、
私はうらるんたさんに感謝したい。

帰り際、お母さんの年を失礼ながら尋ねてみる。
37歳ですって…23歳のときのお子様ですか。うーむ。

更に、ルンタハウスに住んでいる Ngawang Wangdon さんのところへ。
彼女は、数年前来日直前に交通事故で大怪我を負い、うらるんたさん
体調を心配していた女性。
かなり痩せていたものの、にこやかな笑みに少し安心した。
近況を含めていろいろ話したが、一番気になったのは尼僧さんを襲う男性がいる、
という話。Lonely Planet にも書いてあったが、Dharamsala での婦女暴行話は
少なくなさそうである。別の人からも同様の話を聞いたし(この1週間前も事件があったそう)。
夜は真っ暗になるので、女性の方はお気をつけて。


夜、つい先日チベットからインドに抜けてきたというミキヨさんという女性と
食事をご一緒させていただく。
中村さん曰く、「まず外国人は乗ることの出来ない」バスに乗って来られたんだそうだ。
そういえば、チベット本土は現在、個人旅行は出来ない決まりになっているらしい。
その中を移動してくるなんてすごいなぁ、とみんなでしみじみ。

彼女は、アジアのあちこちを旅して、写真を撮ってまわってられるそうだ。
日本に帰って彼女のホームページをじっくり見たが、
チベット本土にいきたくなるような写真がたくさんあった。

スノーライオンの旗がなびくポタラ宮に行きてぇ。
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by miharu0211 | 2005-12-09 00:53 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(9)

11/23(水) まだまだ続く。

Norbulingka 見学中にルンタハウスから電話。
里子のお母さんと夕方に会えることとなる。

それまで時間がちょっとあったので、近くにある Dolma Ling 尼僧院へ。
宗派を問わず数百名の尼僧の方が此処で生活している。
チベットから逃げてきたお坊様は、インドでも宗派毎に寺を復興させているそうなのだが
尼寺は元々の尼僧の人数が少ないため、なかなか宗派毎に復興させることが出来ない。
そのため、宗派を問わない形で寺を作ったそうだ。

祭日だったため、寺内に人は少ない。

建物の中にお邪魔し、図書館に入ったところ
中で作業をしている人達が居た。
お邪魔して作業を見せてもらう。

d0016306_22592411.jpg尼僧さん達が作っていたのは
砂マンダラ。

12月に Dolma Ling 尼僧院へ
ダライ・ラマ法王が
初めて来られるそうで、
その歓迎のための
観音菩薩の砂マンダラを
8日間かけてつくるそうだ。
写真は3日目。

作業は朝9時から夜10時まで。
なんと13時間。

尼さん作成の砂マンダラは
珍しいそうだ。

右は上のマンダラの拡大図。d0016306_2341495.jpg
これが全て砂だとは信じられない。

緻密な世界にとても惹かれる。

これだけ時間をかけて作ったものも、
数週間後には川に流されてしまう。

そのうつくしさ、はかなさが
桜の花に通じるような気がしませんか?

余談ですが、インドはちょうど桜の季節。
Lower Dharamsala で
桜を眺めてきました。




彼女達の側では、尼さんが一人マンダラを作るための練習をしていた。
早い人でも5ヶ月くらい練習しないと、上のようなマンダラを作ることは出来ないそうだ。
タンカと同じく、職人技である。
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by miharu0211 | 2005-12-08 23:10 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(8)

11/23(水) 続き。

昼前に、Lower Dharamsala にある
NYINGTOB LING (チベット人障碍児のための施設)へ。
Norbulingka(チベット文化センター)とともに、
この施設はチベット人の生活地域から少し離れたところにある。

d0016306_2162335.jpgNYINGTOB LING は
寄宿制で、現在48人の
子が住んでいる。
学校やリハビリなどを
行なう部分と
手芸品を作って販売する
実業的な部分があり、
日本で言うところの
養護学校と共同作業所を
合わせたような施設、
みたいな感じ。


職員の数も多い。
また、ドイツから来たボランティアの女性もいた。
その方は、コンピューターのクラスを担当されていた。

上の写真は、お香を作っているところ。
事前に申し込めば見学可能とのこと。
日本からの見学者は少ないらしい。残念。


続いて、Norbulingka へ。
チベット文化の継承を目的とし、工芸制作者の育成を行なっている施設である。
ここの入学試験も倍率が高いそうだ。
タンカ(絵・布)の制作をしている人々を見学する。
タンカ欲しいなぁ。はぁ。

Norbulingka の寺の中では、ちょうど来年のカーラチャクラの準備をはじめていた。

ちょっと横にそれますが。d0016306_2122285.jpg
カーラチャクラとは
チベット仏教で最上位の教えのひとつ。
ダライ・ラマ法王から教えを受け
灌頂を受けるために
世界中から10万人以上の人が
集まる。

来年のカーラチャクラは
南インドの Shri Dhanyakataka という
仏陀が初めて説法した土地で行なわれる。

この色使いがたまらなく好きだ。
ほんに美しい。




Norbulingka には、他にもレストランや博物館もあって、見所たくさん。
寺の壁に書かれたタンカも見事で、長い時間居ても飽きない。
オススメの場所である。
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by miharu0211 | 2005-12-08 21:44 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(7)

11/22(火)の夜遅く。
ルンタハウスにあるマシンのネットワーク設定関係で、日本在住の
システム屋数名の携帯宛に Dharamsala からメールする。
メールを送った皆様、ご迷惑をおかけしました。本当に助かりました。
「生きていたか?」「道に迷ってないか?」「人に迷惑をかけてないか?」など
有難い言葉もたくさんいただきました…同行者がいるって言ったんだけどな。


11/23(水)。
今日はチベット暦では『お釈迦様が天から帰ってきた日』という祭日。

朝早く起きて、中村さんうらるんたさんももちべさんと Tsuglagkhang のリンコル(巡礼路)を歩いてみることにする。

d0016306_19315317.jpgリンコルでの1枚。
坂道が多く歩きにくい道である。
道沿いの石には、真言が彫られている。

写真に写っているのはお坊様。
チベットでは、この色はお坊様カラー。

ふらふらしながら必死で歩く日本人の隣を
チベット人の爺様婆様が追い抜いていく。
マニ車を回しながら読経して歩いてる
爺様にまで抜かれる始末。

次の日、一番若い私だけが筋肉痛に。
情けない。



リンコルの途中のお堂では、お坊さんが読経していた。
お堂の道向かいの小高い丘には、石塔や石灯籠があって、
丘のてっぺんにはたくさんのタルチョが風になびいている。
老若男女問わず、たくさんの人が祈りをささげている。
お坊様と一緒に読経したり、
石灯籠の中の火に日本でいうところの抹香の様なものや油をくべたり、
米を撒いたり、石塔にお祈りしたり、タルチョをくくりつけたり。
昨日、Tsuglagkhang にて、嫌がる4歳くらいの孫に
無理やり五体投地のようなことをさせている爺様を見たが
(とても微笑ましい光景だった)、
チベット人の生活の中には本当に仏教が根付いている。
チベット人の真似をしながら、同様に祈りをささげる。

右の写真は紙ルンタ。d0016306_19545745.jpg
タルチョ(経文旗)と同じものが
印刷された紙を
空へ投げる男性と子供。
とても美しかった。

読経の後、皆が一列に並び、
神に捧げる歌を歌い、
儀式は終わった。
鳥肌が立った。

本当に良いときに Dharamsala に来た。





朝食後、ルンタハウスへ。
ここでレストランを仕切っている直子さんが、私の里子のお母さんに
昨日から懸命に連絡をとってくれようとしていた。
が、なかなか調整がうまくいかない様子。
今日は、朝から電話が通じないらしい。

NYINGTOB LING(チベット人障碍児の為の施設)へ行く前に、
お母さんの家に寄ってみるが、お母さんはやはり居なかった。

小さい家だった。
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by miharu0211 | 2005-12-08 20:22 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(6)

11/22(火)まだまだ続く。

リチャード・ギア氏御用達のホテルを少し見学。
彼やジェット・リー氏はちょくちょく Dharamsala へ来るらしい。
Kangra 空港(Dharamsala の近くの小さい空港)に自家用飛行機なのかねぇ?

昼少し前に、難民自立支援施設「ルンタ・ハウス」へ。
ここは、ルンタ・プロジェクトが 、Gu-Chu-Sum と共同経営している施設で、
今回の旅で一番お邪魔したかったところの1つ。
中には、Dharamsala で唯一の日本食レストラン(チベット人が多く働いており、
彼らの貴重な収入源となっている)や手工芸工房、難民向け教育施設などがある。

ルンタ・レストランは12時開店。
ベジタリアンメニューのみだが、日本食が食べられる貴重なお店として人気があるそうだ。
お好み焼きやかきあげうどん、納豆を食べられるし、緑茶も飲める。
ちなみに、この日の日替わりメニューは
・海苔巻
・味噌汁
・じゃがいものにっころがし
・おひたし
だったと記憶。
この海苔巻に使われているわさびは、日本から、うらるんたさんが運んできたもの。
今回も差し入れをバッグ4つか5つ分持って来られていた。本当にお疲れ様です。

此処には、お座敷もあるし、日本語の本もたくさんあって、何より日本語が通じる。
旅の途中で日本が恋しくなったら此処は良いかもしれない。
パンやケーキ等の甘味も充実してますぜ>女性の皆様

レストランの隣には手工芸工房で作られたバッグや洋服等の販売コーナーもある。
此処で買ったバッグは、母に大好評であった。

その他、ルンタ・レストランにはシルクスクリーン印刷で様々なデザインをプリントした
Tシャツも売ってあった。
デザインを持ち込んだら、オリジナルTシャツも制作可能とのこと。
興味がある方は、是非ルンタ・プロジェクトまでご一報を。


午後からは Dharamsala のTCV(Tibetan Children's Villages)へ。
TCV は、インド国内に複数作られた寄宿制のチベット難民用学校。
小学校から高校までが付属しており、両親のいない子は無料で教育を受けることが出来る。
私の里子は Mussoorie というところの TCV で学んでいる。

TCV では、まずももちべさんの子の消息をたどるべく、
Thupten さんの案内で写真のアマラ(寮母さん)を訪ねることとした。
寮へ到着すると、Thupten さんが一言。
「ほら、写真の子、ここにいるよ。」
本当に、そこにはももちべさんの里子がいた。
チベット本土に戻ったはずなのに、何故??

ここの TCV は、Dharamsala から車で20分ほど上にあがったところにある。
ももちべさんの里子の環境は本当に複雑で、
彼女がチベットに行かずにインドに残ったことを街に住む大人が把握できなかったらしい。
小学校2年で大人の事情に巻き込まれている彼女が、本当に不憫であった。

ももちべさんと里子ちゃんの対面が無事叶った所で、我々は TCV のオフィスへ。
『TCV では、両親のいない子は無料で教育を受けることが出来る』と先程書いたが、
両親のいない子には、ここのオフィスが代わって海外の善意ある人の中から
その子のスポンサーを探すのだという。
ここのオフィスの本棚には、世界のあちこちの国の名前が書かれたファイルが
置いてあった。
無事スポンサーを見つけた子は、年に何度もスポンサーへお礼の手紙を書く。
年に1度の運動会には、世界中からスポンサーが里子の様子を見に訪れるそうだ。
TCV のスポンサー制は本当にすごいものだった。ちょっと感動。

ちなみに、私の名はスポンサーとして Mussoorie の TCV には登録されていない。
基本的に、ルンタ・プロジェクト経由の里子は親がいる子達なので、表向き親が
学費を納めている。
しかし、学費は年間100ドルちょっと。いや、150ドルだったっけな。
どっちにしても、仕事の少ないチベット難民の親には高額である。
#1ドル=120円、1ルピー=2.5円とすると、
#100ドル=12,000円=4,800ルピー。
#150ドル=18,000円=7,200ルピー。
#月に3,000ルピーの給料で収入の良い部類に入るようなので、
#やっぱり高いよね…
よって、その学費の肩代わりをしていることになる。
うちの子、一昨年に父親を結核で亡くして今は母一人子一人だしね。
大変だと思うのですよ。
ママンの役に少しでも立っている、と思うと嬉しいわけで。

このあと、付属の学校を見学。
d0016306_010429.jpgここは幼稚園。
行った時は、90名の悪ガキが大暴走中。
保母さんは、散らかったブロックを集めるのに
箒を使用していた。ナイスアイデア。

話は変わりますが。
TCV では恋愛禁止らしいが、
高校の体育館に相合傘がちらほら
書いてあった。
遥か昔に通り過ぎた青春を感じた。
いいねぇ、青春。
体育館裏で逢瀬ですよ。
ふふふふふ。




夜は、Gu-Su-Chum の前代表 Yeshe Togden 氏と会食。
現在チベットがおかれている状況について、色々話す。
クショラ(チベット語でお坊さんの敬称)にも、この旅行中はお世話になりっぱなしだった。
良い方にめぐり合えたと思う。これも縁なるものかな。
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by miharu0211 | 2005-12-06 00:37 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(5)

11/22(火)続き。

午前中は、ダライラマ法王お膝元の寺 Tsuglagkhang へ。
ここには、法王の公邸もある。
法王が Dharamsala にいらっしゃるときは、此処で謁見が可能なのだが
あいにく法王はアメリカ訪問中で、今回は謁見できなかった。
法王は24日に Dharamsala に戻られるそうだ。

早朝にホテルの部屋から道を覗いた時、まだ暗い道を多くのチベット人が
どこかに向けて歩いて行っていたが、彼らはこの寺へ朝のお祈りをしに出かけていたらしい。

チベット人は、本当に敬虔な仏教徒である。
例えば、輪廻転生を信じる彼らは、自分の体を刺す蚊でさえ殺さないのだそうだ。
「もしかしたら、この蚊は自分の前世で親だったかもしれない」と思うからなんだとか。
ゴキブリを一撃でしとめる私の話など、とても出来ない。
それに、どこにでも寺を建てる。
今回訪問した学校や養護施設等の敷地には、必ず豪華な寺が作られていた。
しかも、学校よりも先に寺を作るらしい。
すごいと思いませんか?

Tsuglagkhang では法要が行なわれていた。
d0016306_21455950.jpgピンボケ写真で恐縮ですが、
ここに写っているお坊さんは
ダライラマ法王の直属部隊。エリート集団である。

この奥には、砂マンダラもあった。
この法要は、砂マンダラに
神様を降臨させる儀式らしい。

一連の儀式は、
砂マンダラを作り、
そこに神を降臨させ、祈りを行い、
最後に砂マンダラを壊し、砂を川に流す、
という手順で行なわれる。
全てのモノはいつかは無くなるのだ、
という仏教の概念に適っている。

チベット暦で明日は『お釈迦様が天国の母親に会いに行って地上に戻ってきた日』という
祭日なので、それ関係の法要ではないか、と小川さんが教えてくれる。
なんとタイミングの良いことだろう。滅多に見られないものをおかげで見ることが出来た。
本当にラッキーとしか言いようが無い。


法要の見学後、Thupten さん(だったかな?)が
「Tsuglagkhang で、チベット名をもらえるところがありますよ。」と教えてくれたので、
みんなで行ってみることにする。
チベット名をもらう儀式の手順は下のとおり。
①今の名前をお坊さんに言う
②お坊さんはこっちの性別を見て、男性用女性用のカードの山を選ぶ
③ぶつぶつ①で教えた名前を唱えながら、お坊さんが②のカードの山から1枚を選ぶ
④そこに書いてあった名前がチベット名となる
…かなり簡単な儀式です。

d0016306_22232091.jpg右が今回もらった
私のチベット名。
"Tenzin Dekyong" と読む。
"Tenzin" は法王の本名から
"De" は 『幸せ』、
"kyong" は 『保護する』。
#と教えてもらいました。
ウメー(草書体)?


Dharamsala の街を少し歩く。
チベット語教室やヨガ、霊気(ってなんだろう?)のポスターがたくさん貼ってある。
数ヶ月滞在しても飽きなさそうな感じだと思いながら、更にポスターをあれこれ覗くと、
『Save Tibet』『Free Tibet』と書かれたポスターや
世界最年少の政治囚 パンチェン・ラマ11世のポスターも混じって貼られていた。
此処は逃げてきた人達の街なんだな、と改めて思う出来事だった。

ゲンドゥン・チューキ・ニマ君、今、中国の何処に監禁されてるんでしょうな。
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by miharu0211 | 2005-12-05 22:33 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(4)

11/22(火)。
d0016306_18595584.jpgダラムサラの朝。
現在、インドは乾季。
11月の Dharamsala は
朝は10度以下、昼は25度以上になる。

風にはためいている旗はタルチョという。
これはお経の書かれた旗で、風になびくと
1回お経を読んだことになるらしい。

1回まわすと1度お経を読んだ事になる
マニ車といい、お経をたくさん読むための
便利道具が多いチベットである。





朝。
ホットシャワーが出ないため、うらるんたさんももちべさん中村さんの部屋へ行く。
勿論、内側からドアは開かないので、外側から中村さんにあけてもらう。
私は昨晩水でシャワーを浴びていたので、ぼんやりと準備。
ホットシャワーも時間限定(夜中は出ない)なので、なかなか大変。日本は便利ですなぁ。

準備も出来、いざ出発というときになり、また外からあけてもらおうと中村さんに電話するが
中村さんは部屋にいなかった。しょうがないので、フロントへうらるんたさんが電話。
ついでに部屋を変えてもらうよう、アピールもする。
やってきたインド人が外からドアを開けてくれたので、うらるんたさんが
「木のドアにつけられたねじ穴が駄目になっていて、ドアが機能していない。」と説明するが、
このインド人、「ノープロブレム」しか言わない。
挙句、内側からもドアが開くことをアピールしようと思ったのか、
自分も部屋に入ってドアを閉めてしまった。
「あぁぁぁあぁ」と叫ぶ日本人3人。
インド人、こっちを見てニヤっと笑い、内側からドアを開けようとするがやっぱり開かない。
「だから言ったのにさぁ…」「コントやってんじゃないんだから」とぼやく日本人。
焦って懸命にドアを開けようとするインド人。
結局、ドアは開かず、インド人がフロントに電話をかけ、更なる救援部隊が来ることとなった。

無事ドアも開き、フロント前で中村さんと合流して再度部屋の交換を主張するも、
インド人は「ノープロブレム」しか言わない。どうも、修理するから待っとけ、と言いたいらしい。
あんたの仲間、閉じ込められたやんか。
てか、木のドアのバカになったねじ穴をどうしたら直るんだ?
このあと、中村さんがしばらく粘ってくれ、なんとか部屋を交換してもらった。
交換してもらった部屋も万全ではなくて、テレビがつかなかったんだけど、
前の部屋よりノープロブレムだったので良いとしよう。
この旅行中、私はかなり物事におおらかになったと思う。


閑話休題。
朝食のときだったか、ももちべさんの里子の話になった。
ルンタ・プロジェクトで支援している里子は、Gu-Chu-Sum という団体関連の子達である。
Gu-Chu-Sum は、チベット本土でチベット独立を求めるデモに参加したしたため、
中国政府より政治犯として刑務所に入れられたチベット人やその家族を支援する団体。
その団体に関連する子達であるため、里子には家庭事情が複雑な子が多いらしいのだが、
ももちべさんの里子の事情は更に複雑らしい。
ももちべさんが今回 Dharamsala に来た理由のひとつは、この里子の今現在の
行方がはっきりせず、それを確かめたいという思いからだったそうだ。

「彼女は、チベット本土にいるお母さんの元に帰ったらしいんですけど…」と言いながら、
里子の写真を見せてくれるももちべさん。見入る我々。
その1つの写真を見た現地ガイドの Thupten さんが、
「このアマラ(チベット語で『母』の意味。学校の寮母さんに対しても使うそうな)、うちの子の
アマラだよ」と言い出す。
Thupten さんは、更に、里子が友達と写っている別の写真をさして、
「だって、ここに写っているの、うちの子。」と言う。ビビる我々。
すごい偶然である。
うらるんたさんの『チベットを訪ねた日本人が、たまたま知り合ったチベット人に
「日本にいるチベット人の○○さん知ってる?」と聞かれたので、うらるんたさんの知り合いの
チベット人○○さんに聞いてみたら本人だった』という話
くらいの偶然。
チベット繋がりってこんな話が多いけど、それでもねぇ。
「だとすると、このアマラに里子ちゃんのことを聞けば、現在どうしているかわかりますね」
と、藤田さん。
「けど、この子、今も Dharamsala のTCV(Tibetan Children's Villages の略。)に
いるよ?」と
Thupten さん。

チベットに帰ったはずの子が、まだインドにいるなんてことがあるのだろうか。
TCV には午後に行くことになっていたので、そこでももちべさんの里子の消息をきっちり
調べることとなった。
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by miharu0211 | 2005-12-05 21:13 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(3)

d0016306_1936634.jpg11/21(月)続き。
この日、乗り込んだ列車。
寝台に使われた枕とシーツは、
朝になると列車から下ろされる。

この列車は、
前の日の昼に INDORE JN BG という駅を出て、
今日の夕方に終点 JAMMU TAWI へ着く。
30時間かけて、一体何km走るのだろう?
インドはとてつもなく広い。






窓から広がる風景は、ただただ大地と馬や牛などの動物と人、そして低い建物。
朝一、野外で用を足す人々も見てしまったこともあり(噂には聞いていたが)、
はじめは興味深く窓の外を眺めていたが、あまりの風景の変わらなさにだんだん飽きてくる。

昼の車内売り弁当もやっぱりカレー。
ここで、塩入りヨーグルト(しかも水っぽい)を食し、軽くショックを受ける。
マサラ味に飽きてきたのもこの頃。まだ1日半しか食べてないのにな。

時々やってくる売り子さんは楽しみの一つ。飲み物や食べ物、雑誌を売りに来る。
駅に停車している間に売りにくるチャイは、きちんと煮出したものなのでとても美味しい。
「チャーイチャイチャイチャイ…」なんて声が聞こえると、思わずそっちを見てしまう。
隣の座席にいる親子連れの子供が、売り子の真似をする。これがまたかわいい。
「さらっちゃうぞー」とももちべさん。めんこい男の子だったもんなぁ。

16時半、時刻表どおりにCHAKKI BANK 駅に到着。
パキスタンやカシミール地方に程近い(といっても100kmは軽くあるが)場所の駅である。
すごい場所に来たもんだ、としみじみする。
ここからタクシーで更に3時間進むと、やっと目的地 Dharamsala にたどり着けるのだ。
Dharamsala は広い。斜面に作られた街で、Lower・Middle・Upper と、
標高にあわせて3つの集落がある。そして、Lower と Upper は10kmも離れている。
Lower にはインド人が、Upper にはチベット人が多く住んでいる。
我々は4日間、Upper Dharamsala 通称 Mcload Ganj に滞在することとなる。


あともうちょっと…と意気込んで車に乗り込んだが、運転がこれまた荒い。
道が舗装されていないので、とにかく揺れる揺れる。兎に角怖い。
これだけ飛ばしたら、2時間くらいで着くのではないかと思ったが、
「この速度で3時間ですよ」と Thupten さんに言われ、げんなりする。
これでも、インドではかなりの安全運転らしい。信じられん。

街を抜け、未舗装の道を進み、州境の長い橋を渡って、更に街を抜け。
すっかり日が落ちた中、坂道をぐんぐん登る。
斜面の上の方に家々の明かりが見えてきた。
成田から30時間ちょっとかけて、やっと Mcload Ganj に着いた。
やっと来ることが出来た…という喜びが湧き上がってくる。
夜ながら店が営業中だった Lower に比べ、Upper はひっそりとしていた。


宿泊する Hotel Surya は、日本語訳だと「金持ちホテル通り」のような名前の
通り沿いにあった。
ホットシャワーの設備のある、インドでは良い部類に入る宿である。
ホテルの前では、今回の現地案内をしてくれる小川さんが待っていてくれた。
小川さんは日本で薬剤師の資格を取った後、Dharamsala に来て、
Men-Tsee-Khang(チベット医学暦法学大学)でチベット医学を学んでいる人。
チベット好きの間では有名な方である。
翌日より、小川さんには本当にお世話になることとなった。
彼と Thupten さんのおかげで、4日間、たくさんのモノを観る事が出来た。
一人旅だったら、とても無理だったであろう。

遅い夕食の後、小川さんに教えてもらったホテルの隣のインターネットカフェへ行く。
日本語が使えて、10分15ルピー。
ここで、ひとまず親と相方に、現地到着の旨を連絡する。
Dharamsala 滞在中、この店には毎日通うこととなった。


「旅にトラブルはつきもの」というが、ホテルではこの旅一番のトラブルが待っていた。
シャワーから湯が出ない。これはまだ許せた。
一度ドアを閉めると、内側からドアを開けられない。つまり、外に出られない。
これには困った。

既に夜遅いので、明朝に部屋を変えてもらうことにし、この日は床についた。
これまた長い長い一日だった。
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by miharu0211 | 2005-12-04 20:49 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(2)

11/21(月)
夜中に目が覚める。時計を見るとAM2:30。
日本時間では午前6時。いつも起きる時間に起きてしまった。
うらるんたさんももちべさんに悪いと思いつつ、カーテンをあけて街を眺めてみる。
ちょっとだけもやがかかったような街は、やはり異国の風景であった。
イラク戦争時のバグダッドの映像を観てるような感じか。


朝6時にはホテルを出て、NEW DELHI 駅へ向かう。
相変わらず空気は悪い。そして、街も汚い。が、このごちゃごちゃした雰囲気は気持ち良い。

6時半過ぎ、NEW DELHI 駅に着く。
駅の周りは既に人がいっぱいで、あちこちで寒さを避けるために焚き火をしていた。
我々の乗ったマイクロバスを見て、赤のジャケットを羽織った人が大量に車を取り囲む。
「赤の服を着ている人はポーターだよ」と Thupten さんが教えてくれた。
外に出ると、火にビニールをくべている様な悪臭にくらくらとする。
Thupten さんは既にポーターと金の交渉をはじめていた。

中村さんに続き、駅の中に入る。
ホームは、寝てる人やらライフルを抱えた軍の人やらチャイや時計の売り子やらすごい状態。
切符が無くても、どうもインドは駅の中に入れるらしい。
ここで初めて乞食と呼ばれる人を見た。
彼らは、服を引っ張って金をくれという仕草をする。
一人に金をあげると大量の乞食に囲まれる、と聞いたことがあったので
しばらくシカトしていると彼らは次のターゲットを求めて去っていく。
『低いカーストの人たちは、生まれた時点でその生き方しか選べない。』
昔、何かの本で読んだのを思い出す。
手や足の無い人もいた。同情を得てお金をもらいやすくするために、
生まれた時点で親が切ってしまう、という噂は本当なのだろうか?
今考えると、少しあげればよかったなとも思う。彼らから見れば『富める者』なのだから。

d0016306_19113440.jpg駅のホームでこんなものを発見。
明け方に撮ったので暗いですが、
実はこれ、体重計。
1ルピー硬貨を入れると、
切符のような紙が出てきて
体重を教えてくれる。
裏には身長ごとの男女の理想体重一覧表付。
気に入ったので、パチリと一枚。







1時間遅れで列車はやってきた。
荷物を持って、早速乗り込む。
席は2等寝台。エアコン付。
窓は開かない。しかも2重。
中村さん曰く、列車の外から強盗や売り子が入ってこないようにするためだと言う。
そういえば、1ヶ月ほど前に南インドで列車が川に落ちたとき、窓に鉄格子が入っていたため
多くの人が逃げられずに溺れ死んだ、というニュースを見た。
あのときは鉄格子の意味がわからなかったが、強盗除けだったのか。
ちなみに、列車には非常用に開けられる窓もついていたが、手順が複雑で、
すぐに開けられるような仕組みではなかった。
インドの列車、非常時に生き延びるのはとても厳しそうだ。

そして、インドの列車はアナウンスを一切行なわない。
何処の駅かは列車の外に出て確かめないと分からない。
あとは、タイムテーブルから推測するしかない。
駅に止まった列車がいつ出発するかも分からない。
出発時、ゆっくりと列車は出発する。
列車のドアは無い。
外に出ていた人は動く列車に乗り込む。
これ、日本でおんなじことをすると非難の嵐なんでしょうな。

何はともあれ、列車は CHAKKI BANK に向けてのんびり進む。
9時間の旅である。
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by miharu0211 | 2005-12-04 19:31 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(1)

11/20(日)続き。

Indira Gandhi 国際空港は夜だったこともあり、うっすら暗かった。
映画のフィルムを観ているようだ、が第一印象。
今思えば、照明が暗かったのだ。
日本の照明は夜でも昼並みの明るさを提供してくれるが、
空港の照明は今が夜だということを分からせてくれたのだった。

入国審査では一言も聞かれず、税関では記入した紙を渡すのみ。
案外楽にインドに入ることが出来た。
中村さんについて歩いていくと、空港の外へ着く。
いよいよ、評判の悪い空港外へ出るのだ。
ここの「3.滞在にあたっての注意」の(2)の(イ)を参照すると評判の悪さが分かる。

そこは、様々な名前を書いた紙を持ったインド人が大挙して押し寄せている所であった。
インド人に騙されないようにホテルからの出迎えを頼んだとしても、
1人では自分の名前を書いた紙を見つけられそうもない。
ツアーでよかった、としみじみ思う。

中村さんはすぐに出迎えを見つけたようだ。
出迎えてくれた人はチベット人ガイドの Thupten さん。
両親がチベット人、彼はネパール生まれで幼い頃に両親を亡くし、その後兄弟を頼って
インドに移住したのだということだった(と記憶している)。
彼は千葉の成田山に留学していたとのことで、日本語もペラペラであった。
なんと心強いことか。

少々のインド人に声をかけられつつも、無事マイクロバスに乗り込み市内へ。
運転手のインド人は、窓を開けたまま、かつ、冷房を入れている。
外は結構涼しいのに。それよりも、外は排気ガス臭いのに。
うらるんたさんももちべさんは早速マスクを装着している。
Dharamsala はそうでもなかったが、Delhi は兎に角空気が悪かった。
鼻をかむとティッシュに真っ黒の鼻水がつくくらい。
Delhi に行かれる方、間違いなくマスクは必須です。

カルチャーショックはまだまだ続く。
交通ルールが成り立っていないのだ。
2車線の路線に車が4台横に並んじゃってるくらい。
で、クラクションを鳴らす鳴らす。
車の運転も荒いし、なにより信じられないくらいの人がバスに乗っている。
やっぱ、インドはすげぇ。


本日の宿はホテルニッコー。インドの5つ星。
日本人ビジネスマンも多いらしく、ルピーへの両替も日本語で出来た。さすが日系。
ただ、ここのスタッフの英語は最後までさっぱり聞き取れなかった。
私の英語力の無さとスタッフの訛り、どちらが原因だろうか?
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by miharu0211 | 2005-12-02 18:22 | 北インドへの道