カテゴリ:北インドへの道( 34 )

ラブレター・フロム・インディア

昨年11月にインドのダラムサラで大枚はたいてお願いしてきた、
チベット占星術の占いの結果が今日届きました。

早速、お願いしていた前世の欄を読みました。

結果。
人間でした。
しかも、修行僧。

どおりで、寺に行くとはしゃいだり、仏像を見て「かわいい」と発言したために
知り合いから冷たい目で見られたりするわけです。

謎は全て解けた。うん。
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by miharu0211 | 2006-05-28 23:04 | 北インドへの道

チベット占いの行方

インドのリトルチベットと呼ばれるラサに行ったのは去年の11月。
そこにて大枚はたいて占いをしてもらったのですが、「占いの結果は3ヵ月後に送る」と
言われたまま、軽く5ヶ月が過ぎ。

一緒にやってもらった皆様には届いたらしいのですが、うちに未だ届きません。

引っ越した関係で遅れている、と思いたい。


いや、高かったのですってば。本当に。
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by miharu0211 | 2006-04-24 21:04 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(終)

だらだらと続きましたが、やっとこさ書き終えました。
まだ、手を多少加えるかもしれませんが、とりあえず終わりです。

感想。
インドは面白かった。
がさつなO型にはとても居心地の良い土地でありました。
大変だったのは、トイレで苦労したことくらい。
それ以外は全く平気でした。
まぁツアーだし、良いホテルに泊まったので、苦労してないからかもしれませんが。

Dharamsala は想像していたところと全く違いました。
なかなか面白いところでした。
日本に帰るのがとにかく嫌だったのは、あの土地で出会えた皆さんの御厚意が
あったからだと思います。
次はもう少し長く滞在したい…と思っています。


帰国後早速おなかを壊してかなり苦しみましたが、とにかく楽しい経験でした。
未だにエンジ色の服の人を見かけると胸が躍りますし、
日本の道路にきちんと整列した車を見ると感心します。
日本は几帳面な国だわぁね。


d0016306_14403311.jpg先日、うらるんたさんよりあのときの砂マンダラの砂が届きました。
いろんな色が混じった砂。

懐かしい気持ちになりました。
まだ1ヶ月経ってないのに。

砂の器の下は、今回頂いたカターです。
あのときの皆様が末永く元気でありますよう。


今回の旅でお世話になりました、
ガイドの 小川様 Thupten 様と現地旅行社の皆様と日本側の風の旅行社様、
Sonam 様&直子様御一家をはじめルンタレストランの皆様、
2人のクショラ Yeshe Togden 様 と Ngawang Woebar 様をはじめ
Gu-Su-Chum の皆様、
ミキヨ様 ユミ様と旅行中にお会いした皆様、
日本で心配頂きました家族&友人&元会社関係の皆様、
そして、こんなボケ人間と旅を御一緒していただきました
うらるんた様 ももちべ様 中村様にお礼を申し上げます。

皆様の御多幸とダライ・ラマ法王の御長寿をお祈りしております。

追伸:
3月に風の旅行社さんが、法王のティーチングツアーをするようです。
Dharamsala に行くには良い機会かと。
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by miharu0211 | 2005-12-16 15:01 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(17)

11/26(土) 続き。

なーんとなく予想できていたことだが、
エアインディア様より10時間遅れの連絡が来てしまった。
だが、ツアーだったため、「空港に着いたら10時間遅れって言われちゃったよorz」なんて
切ないことは免れた。ツアー万歳。

何故遅れたか、きちんとした理由は不明だが、
中村さんによると、ここしばらく続いていた南インドの大雨が影響してるのではないか、
とのこと。
飛行機は Mumbai から Delhi、そして成田へ向かう。
その出発地を飛行機はどうも旅立てなかったようだ。

とりあえずホテルニッコーへ戻り、関係者へ連絡。
ホテルのビジネスセンター、ネット料金が高すぎであります…
Dharamsala の8倍くらいしたかも。

ここでぼんやり ROSSO を聞いたところ、里心がついたのか旅の疲れがどっと出てきた。
食欲魔人の私がご飯を食べられない。まずい。ここで倒れては日本に帰れん。
Dharamsala ならともかく、Delhi で居残りは嫌。
とりあえずとっとと寝ることにする。


11/27(日)。最終日。

さて。日本時間朝8時には成田にいるはずが、その時間にはまだ Delhi にいたり。
ふらふらしながら朝4時にホテルを出発。5時に空港着。
これでインドと別れなのに、それどころでない体調。ぎづ。声でねぇ。
夜のインドの風景は格好良かったなぁ、くらいしか覚えてない。

空港の入り口で Thupten さんとお別れ。
本当にお世話になりました。感謝感謝。
カナダに行く前にもう一度会えるといいなぁ。

空港ではまず荷物を預ける手続き。
チェック後、機内預かり荷物に梱包用の紐(ナイロンのようなやつ)にてきつく梱包。
この紐がついていないと機内に預けられないらしい。

そして、搭乗手続きのカウンターへ。
人はたくさん並んでいるのに、成田行きのカウンターは1つしかない。
そして、窓口のねーちゃんの手続きが遅い。
飛行機は7時20分発だったと思うのだが、7時を過ぎても目の前に何人も客がいる。
このころから大分意識が戻ってきた。日本に帰れなさそうな気がしたので。
日本だったら、間違いなく搭乗口に入っていないとまずいころだよな。
いや、国際線だったらもっと早いか。
これから乗るのは国際線だよな…と、ぼんやり考える。

飛行機の出発時刻を過ぎる。
窓口のねーちゃん、我々の前の前に並んでいた夫婦と喧嘩中。
さすがに、後ろの人々もざわざわしだす。
前に並んだ白人の男性が一言、「Terrible!」。
ええ、本当に。
こんなときでも、「まぁ乗れるでしょ」とのんびり構える中村さんとうらるんたさん
旅慣れた人は違う。

我々の後ろのインド系の男性が、窓口につめよると抗議を始める。
時計を指差して。うん、もう飛行機飛び立ってるはずだよね。
なのに、飛行機の搭乗券すらもらってないんだよね。
別の窓口から責任者らしき人が出てきた。
「成田行きの飛行機に乗る予定の人、いますか?」と聞かれ、手を上げた人は10名近く。
やっと窓口が2つになり、10人分一気に発券処理開始。
抗議をしてくれた男性は、他に乗る人がいないか探している。
いい人だなぁ。
窓口のねーちゃんはどこかへ行ってしまった。

ふらふらと出国手続きをしてもらう。
手荷物検査の際に、バッグにチェック済のタグを付けられる。
が、付けられたのは『Air Kuwait』のタグ。思わず噴き出す。
いいなぁ、インド。かなり気に入った。

やっとこさ搭乗口へ。
とっとと飛行機に乗って寝てしまいたいのだが、入り口にいる迷彩服の警備が
乗っけてくれない。
ぼんやり待ち続ける。この時点で、確か8時過ぎだったと思う。
何故乗っけてくれないのか最初わからなかったのだが、待ち時間のときに中村さんが
航空券が Exective クラスに変わっていることに気づく。
どうも、良いクラスに座席が変わっていたらしい。あら、ラッキー。

d0016306_14115440.jpg乗り込んだ座席は
本当にゆったりとしており、
サリー女性のサービス付。
食事メニューも豪華。
帰りの飛行機でご飯は
抜こうと思っていたのだが、
がめつく食べることにする。

乗り込んだ安心感で
とりあえず眠りにつく。
これに乗ればもう日本。


しばし寝て、起きる。
が、まだ飛行機は飛んでいない。
どうも、客がまだ数名乗っていないらしい。
インドが帰してくれん…


結局飛行機が飛んだのは11時半頃。
当初の予定時刻から14時間が過ぎていた。
飛行機に乗り込んでから、隣の搭乗口から3機は旅立っていった。
さようなら、インド。また来るよ。めっちゃ気に入ったし。

21時過ぎ、成田着。
もう少し遅れたら、成田の着陸許可時間(22時)を超えるため
下手すると関空行きになるところだった。


インドで大麻って話、本当だったんだね。
成田入管のお兄さんにしつこく聞かれるまで、ただのうわさと思ってたよ。
しかし、日本に持ち帰る人なんてそういないだろうに。


入管を駆け抜け、京成に飛び乗り上野へ。
更に北へ帰るうらるんたさんとももちべさんは本当に大変だったことだろう。


というわけで、この日の日付が変わるころ、やっと無事上野で相方に再会。
私が帰ってこないので、数時間漫喫で寝てたらしい。お疲れ様でした。
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by miharu0211 | 2005-12-16 14:16 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(16)

11/26(土)。

朝早く、Old Delhi 駅へ到着。
New Delhi 駅より大きいような気がする。

そこからホテルニッコーへ行き、シャワーを浴びる。

その後、仕事の中村さんと別れ、
うらるんたさんももちべさんと Delhi のチベット人居住区 Majnu Ka Tila へ。
ここは難民キャンプとも言われているので、頭の中でTVに出てくるような
テントが並ぶ光景を想像していたのだが、普通に数階建ての建物も建っていた。
昔はバラック小屋が多かったらしいが、最近は大分綺麗になったという。
Majnu Ka Tila には宿もあるし、Dharamsala 行きバスも出ているので
ここに滞在するのも良いかもしれない。

ここに来たのは、Jamyang さんという男性に会うため。
Jamyang さんも政治犯として中国の刑務所に入れられたことのある人。
BBC などの取材も受けたことがあるそうだ。
彼は「チベットの独立のために、チベット人はもっとアクションを起こすべき」という
考えの持ち主。同年代なんだが、熱い人だった。
私がチベット人だったら、彼と同じような思考だったかもな…と思う。
チベット本土の話を1時間くらい聞く。

彼は、現在 Majnu Ka Tila で店を開いている。
他のチベット人の店が、ネパールから安いタンカやチベットグッズを仕入れて売っているのに
対して、彼はチベット人を雇いその工房で作成した商品を販売しているのだという。
すごいよなぁ。
Majnu ka Tila にお越しの際は
Gakyil Tibetan Art & Crafts Preservation Centre へ。

街の中を少し歩く。
あちこちに、「チベット本土に電話できます」という看板があった。
そだよな、本土の親戚に連絡したいよな。
切なくなった。


d0016306_1822461.jpgMajnu Ka Tila にて。
この日案内してくれたタクシー。
カメラを向けたら、
わざわざポーズをとってくれた。

このあと、車の中で盛り上がったのだが
チベット人は結婚という枠を
あまり気にしないらしい。

日本で日本人と入籍して
かつインドに妻子のいる人の話を
聞いた。

多夫一妻制の習慣のあった地方も
あったそうなので、それも影響してるのか?


昼は、Pema Gyalpo 氏(コメンテーターとして日本のTVでもおなじみ)の妹さんと会食。
妹さんは Delhi で旅行代理店を経営されているそうだ。とても美人な方だった。
日本人が一番盛り上がったのは、妹さんの携帯の待ち受け。
回るマニ車…あれはほしい。


午後は Thupten さんの案内で Delhi 市内でお買い物。
まずはバザール。
入場料(確か20ルピー)を払って入ると、インド各地の商品が販売されていたり、
各地の舞踏などを見ることが出来るところ。ちょっと値段がお高めであったが
面白いのでお勧め。
…女3人があちこちに目を取られているので、
Thupten さんはちょっとげんなりしていたようだったが。
どこの国でも、女の買い物に付き合う男性は大変だ。

次に、みやげ物街を探索。
小さい店がたくさんあって面白い。
そして、みやげ物売りや占いのおじさんや乞食に追っかけられる。
ここはそこまで高くなかったと思う。

ここでインドの女子高生を発見。
日本と同じようなブレザーでスカートも短い。しかも美人。
Delhi の街中では洋装の女性を時々見たが、それ以外のところでは
全く見なかった。

更にエンポリアムへ。政府の直営販売店。
インドは基本的に値札がついていないため、日本人だとぼったくられる可能性があるが
ここははじめから値札つき。高いがぼったくられることはない。
ただし値段交渉は出来ないので、値段交渉の出来る人は普通の店の方が楽かも。
小心者の私はここで土産を購入。


夕方の4時だったと思う。
エンポリアムで買い物をしながら、
「飛行機は夜9時半出発だから、もうすぐ Thupten さんともお別れだね…」
なんてしんみりしていたところに、中村さんからうらるんたさんへ電話が入る。

なんか、あわだたしい。

それは「飛行機が10時間遅れる」という連絡だった。
さすがインド。最後まで裏切らない土地だ。
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by miharu0211 | 2005-12-15 18:38 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(15)

11/25(金) のんびり続く。

のっけからずれますが、インド人商人について思ったこと。

彼らはチベット人に比べるとかなり商売がうまい。
外国人客を見ると、その国の言葉で声をかけてくる。
が、当たり前だが、日本人と他のアジア系外国人の見分けなんぞつくわけがない。
Dharamsala に来る日本人似の人種で多いのは、台湾人と韓国人らしい。
チベット人も結構日本人似。けど、旅行客じゃなくて住人だからわかりやすい。
見た感じ、台湾人は服が派手。蛍光色の洋服を着ていたりする。
そして、団体が多く、バッチを付けているため判断しやすい。

さて、残るは韓国人。
こっちがあからさまに日本人だと分かると、インド人は「こんにちわー」と言ってくる。
分からなかった場合、彼らは「アンニョンハシムニカー」と声をかける。
何故か。
中村さんによると、
「韓国人は日本人に間違われると怒る。けど、日本人は韓国人に間違われても怒らない。
だから、どっちかわからないときは韓国語で話しかける。」
なんだそうだ。
なるほど。勉強になりました。


話を本題へ。
またまたかっ飛ばす車に乗って、今度は Patankot へ向かう。
これまたパキスタンに近い街。平和を満喫。
ここは、Chakkibank に比べて大きな駅だった。
インドの列車駅ならどこにでもある象のモニュメント(インド国鉄のキャラクターか)も
浮いていない。それどころか、電光掲示板もあった。すごい。
荷物を降ろす際に、ポーターが中村さんのバッグを落としてしまい、中のビールが破裂。
「ああ、注意してって言ったのに…」と中村さん。

インドでは、公共の場所では酒が飲めないらしい。
外国人がお酒を飲むことにはそこまで支障がないようだが、
それでも、旅行中にお店でビールを注文したら
「今日は警官が来ているから駄目だ。」と断られたこともあった。
国産ビールもあるようだが、結構なお値段がする。日本と変わらない値段だったような。
今回滞在した Himachal Pradesh 州の場合は売値の半分が関税になるそうだ。

「ちょっと待ってね。」と Thupten さんは言い、しばらくして新聞紙に包まれた瓶ビールを
持って帰ってきた。なんか、悪いことをしているような気分。


駅にはデモ隊がいた。
国鉄の民営化反対のデモだと聞いた。
どこの国も変わらないのかね…


今晩は夜行列車で Dehli へ向かう。
列車にて、Dharamsala で会った台湾御一行様と再会する。
仏教の8大聖地を巡る20日ほどのツアーの途中、Dharamsala にて Kagyu 派の
最高指導者 Karmapa 氏に会うためだけに Dharamsala に寄ったらしい。
すぐ近くの寝台に寝ていたお爺様は御年確か69歳。日本語も少しわかるとのことで
日本語と中国語(中村さんとうらるんたさんは中国語も堪能だ。すごい。)で
いろいろ話を聞かせていただく。
平均年齢の高いツアーご一行様だと思ったら、なんと台湾から料理人つきのツアーだとか。
旅行先で常に台湾料理。すごいなぁ。
これまた貴重な出会いであった。
台湾ツアーの添乗員、二郎さんも良い方だったなぁ。
もう台湾に帰国されたのかな?

夕飯は直子さんの作ってくださったおむすびと煮物、酢の物。
すごくおいしかった。やっぱおむすびは最高だ。
直子さん御一家にも本当にお世話になりました。有難うございました。


夕食後、少し列車に酔ったので早めに眠らせていただく。
深夜目覚めたら、ものすごい勢いで列車が走っていた。
脱線したら死ぬな、と思いつつまた寝る。

次の日に他の人に聞いたら、みんなそう思ったらしい。
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by miharu0211 | 2005-12-13 14:17 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(14)

11/25(金) Dharamsala 最後の日。

d0016306_1821194.jpgDharamsala 遠景。

こんな田舎町も便利になり
ATM も出来たし、
(VISA/Master OKらしい)
携帯も通じるし
(AirTelという会社が強いらしい。
2005/11現在、日本の au と
連携中であることを確認)、
ネットカフェもたんまりあるし。

あと、郵便事情がよくなればな…








朝早く、Dharamsala の隣町(?)へ。
インド人の集落を抜け、ヒンズー教の寺院の間を通り、山のほうに行くと遠くに川が見える。
Thupten さん曰く、そこの川に流すそうだが、僧衣を着た人の姿は見えない。
近くのインド人に聞いてみたところ、「昨日お坊さんが来てたよ」とのこと。
やっぱり遅かったか…残念。


Dharamsala に戻り、Gu-Chu-Sum の見学に行く。

まずは、2004年に完成した Tibet Photo Exhibision へ。
ここは、中国政府がチベット人に対して行った暴行等を紹介するための展示室。
刑務所で使われる暴行の道具や、実際に暴行を受けた人々の姿、
チベット独立デモの様子などの写真がある。
全て、チベット本土から逃げてきた人が持ってきたものだ。
目を背けたくなるような写真がたくさんあった。
昨日会食したお坊さん2人も、同じように暴行を受けていたのだと思い出す。
精神安定剤が手放せない人も多いらしい。

続いて、職業訓練クラス見学。
ここでは、英語・チベット語・コンピューター・手芸のクラスがある。
コンピュータークラスを見せてもらった。
現在は15人ほどが勉強しているとのこと。
OS は Win98。Excel / Word / Photoshop / Page Maker / Dream Wever 等を
教えているようだった。
いろいろ聞きたかったんだけど、双方の英語力が英語力なだけに無理だった orz
英語のクラスは、ボランティアの男性が担当しているそうだ。

TCV は18歳までしか入れない。
更に上の人を受け入れる学校もあるらしいのだけど、環境が悪く、
逃げ出す人も多いのだとか。
大人になって逃げてきた人達には、ここは貴重な勉強の場なのかもしれない。
ルンタハウスの宿泊施設も見学する。
比較的綺麗でちょっと嬉しかった。


そのあと、Yeshe Togden 氏の部屋でお茶。
バター茶の洗礼を受ける。
チベット人は、客のコップから少しでもお茶が減ると、またいっぱいになるまで
茶を継ぎ足す。おなかがたぷたぷになってしまうくらい、バター茶を満喫した。
Yeshe 氏は、Gu-Chu-Sum の代表として、世界のあちこちに招かれている。
そのときの写真を見せてもらった。
この方、本当にお茶目な人で、自転車に乗ってはしゃいでいる写真や、
蝋人形館でジェームス・ボンドと記念写真など、思わず噴き出す写真がたくさんあった。
本を執筆する予定があるそうだ。完成したら是非読みたい。


更に、「@Lungta」という、ルンタハウスのそばのネットカフェへ。
ルンタハウスで就業訓練を受けた人達の経営するネットカフェである。
此処は残念ながら日本語未対応だが、ネットカフェ以外に
チベット語の文書作成サービスも受け付けているという。
他よりもちょっとお手軽な値段でやってくれるらしいとのうわさなので、
興味のある方は是非ルンタ・プロジェクトへ問い合わせをば。


午後3時前。
出発の時間である。
お世話になった人々がカターや土産をたくさん持って来てくれた。
うるっときた。
Yeshe Togden 氏は、
「これは法王の数珠の玉のひとつだよ」
と、数珠の玉をネックレスにしたものをかけてくれた。
この数珠の玉は、今も肌身離さず持っている。
砂マンダラの砂も持ってきてくれた。
みなさん、本当にお世話になりました。
またなんとかして来ます。
一人じゃ無理だけど。
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by miharu0211 | 2005-12-12 18:50 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(13)

11/24(木) まだ続く。


d0016306_1712499.jpg夕方、絨毯工房へ。

絨毯というとペルシャというイメージだが、
チベットでもさかんらしい。
ペルシャの絨毯が繊細なのに比べて
チベットの絨毯は頑丈なのだそうだ。
スノーライオンの柄の絨毯が格好良かった。

ここも、難民の職対策のために
作られた工房だと聞いた。

難民の職探しはとても大変そうだ。





続いて、小川さんの知り合いのチベット占星術の先生のところへ。
ご夫婦共に Men-Tsee-Khang のご出身で、
旦那さんは医者、奥様は占星術の占いを専門とされている。
占い結果を英語で記してくれる先生はなかなかいないらしい。
「主に占って欲しいことを2つあげてください」とのことだったので、
前世と相方との結婚運をお願いする。
「結婚運が悪くても、それを克服する方法を書いておきますから」と先生。
参考にさせていただきますわ。

さて。仏教は輪廻転生という教えがある。
これは、ぶっちゃけると肉体が死んでも魂は生きていて、また新しい肉体を手に入れて
生まれ変わっていくという考え方である。
ただし、毎度毎度人間とは限らない。毎回人間で生まれてくるのは、ごくごく一部の
偉いお坊さんのみとされる。
我々のような一般人が現在人間として生まれているということは、
前世でものすごく良い行ないをしたからだと考えられているそうである。
はて、前世で私がどんな行ないをして人間に生まれ変わったのやら。

Thupten さんによると、チベット人は自分の前世をとても気にするらしい。
その前世によって、自分を守護してくれる仏様がわかるからだそうだ。
守護してくれる仏像を購入すると、来世でも人間になれるとか。

結果判明まで2ヶ月かかるそうなので、静かに待ちたいと思う。
個人的には、水辺の動物のような気がしている。
サンショウウオがいいなぁ。


夕飯前にルンタハウスへ。
今日は、風来坊さんの里子とご両親が来られていた。
風来坊さんのところの里子くんは悪ガキっぽい。
お土産の車をとても喜んでいた。
あとひとつのお土産、黒ひげ危機一髪の使い方はわかったのだろうか。

お客さんはそれだけでなかった。
Ten-Dol のお母さんがまた来てくれていた。
わざわざ贈り物を持ってきてくれたのだ。
綺麗な柄のストール。
暖かくて、現在重宝している。
今年の冬はこれで乗り切れそう。
お母さん、本当にありがとう。


夜は、Gu-Chu-Sum の前代表 Yeshe Togden 氏 と現代表 Ngawang Woebar 氏
会食。楽しいときを過ごす。
Ngawang 氏は元学校の先生だったらしく、長く Dharamsala に滞在できた場合には
我々にチベット語を教えてくれるという。
けどね。宿題忘れたら、教科書の前で五体投地の罰だってさ。
イラクサじゃないだけましか。
それ以外にも、いろんなことを教えてくださった。
慈悲の心のことだとか、悩み事の対処法とか。
とても気さくな方々だった。すっと心の軽くなるような気がした。
ありがたやありがたや。


この日、ひとつ残念なことがあったとすれば、砂マンダラ破壇の儀式(マンダラを壊す)と
その砂を川に流す儀式が既に終わっていたらしいということがわかったこと。
ただ、いまいちはっきりしないので、明朝に一か八か、砂を流す川に行ってみることになった。
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by miharu0211 | 2005-12-12 17:50 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(12)

11/24(木) 続き。

小川さんお勧めの法王チェックポイント、
Men-Tsee-Khang 前のヘアピンカーブにて、法王を待つ。

朝8時頃から、あちこちでチベット人がのんびり法王の戻りを待っている。
我々は、法王事務所に知り合いのいる Thupten さん経由で「10時半頃戻る」と
分かったためそこまで待たずに済んだのだが、他のチベット人は時間すらよく分からぬまま
「いつかお戻りになるだろう」くらいの気分で待っているらしい。
おばあちゃん達は花を一輪手に持ち、歓迎の意を示している。
他にも、カター(白い布。これを示すことで相手への敬意を表すそうだ。)を持った人や
線香を焚く人など、それぞれがそれぞれの形で法王への気持ちを示している。
日本人一行も、カターを手に持ち線香を焚いて法王の車を待つ。

ここでの待ち時間に、Dharamsala 在住の日本人ユミさんと出会うことができた。
彼女はタンカ(仏画)を学んで3年になるという。チベット人の先生についているんだそうだ。
あとでユミさんのタンカを見せてもらう約束をする。


待つこと1時間。
インド軍の先導で法王の乗られた車を見る。
車はあっという間に通りすぎていった。
偉い人というと後部座席に乗るイメージがあるが、法王は何故か助手席。
にこやかに手を振られる姿を見ることが出来た。

3度目の拝見はあっという間だった。
けど、良い気分であった。


昼前に、どうしても覗いてみたかったレセプションセンターへ。
この施設は、亡命してすぐの人たちが収容される駆け込み寺のような場所である。
最大2ヶ月まで此処に滞在することが出来る。訪ねたときは151名もの人がいて、
中には数日前にやってきた人達もいた。
宿泊部屋は2部屋あり、男女別れて生活している。
ここにいる間に、その先の生活手段を彼らは見つけなければならない。
とても厳しい現実。逃げてきた後が大変なのだ。
数年前にここを見学したうらるんたさんによると、
前に比べるととてもきれいになったそうだが、それでもベッドが所狭しと並べられた
宿泊部屋はちょっとショックであった。
ここの屋上には簡易教室があり、子供達とボランティア+職員の女性が
コミュニケーションをとっていた。
たまたまそこに訪ねてきた女性に尋ねたところ、法王の姿を拝見するためと
子供をTCVに通わせるためにチベット本土から来たばかりだという。
チベット本土では子供を学校に通わせるのが大変なんだそうだ。

冬のほうがヒマラヤに雪が積もって見つかりにくいため、亡命する人が増えると聞いた。
この施設はこれからが大変なんだろうな。


午後、ユミさんの滞在しているゲストハウスへ。
此処にも、日本人が里親をしているチベット人の子のお母さんがいた。
子供6人のうち3人は親戚の子を育てているのだそうだ。
インドへ逃げた親戚に子を預ける人が多いらしい。
レセプションセンターで会ったお母さんと同じく、チベット本土では教育が受けられないことが
多いからだろうか。優しそうな方だったが、実は肝っ玉なお母さんなのであった。

d0016306_1538526.jpgごめんなさい…
またボケてますが、
これがユミさんの作品。
ものすごく綺麗な仏画。

タンカを極めるには7~8年は
修行しなくてはならないそうだ。

芸術の道は果てしなく厳しい。

訪ねたときは、聖人ミラレパの
下書き中だった。

ミラレパといえば。
イラクサという触ると腫れる草を
この聖人は常に持っているのだが、
チベット人の子供達は親に
「勉強しないとイラクサの中に
投げ込むよ!」
と脅されるそうな。
日本で言うところの「悪い人にさらわれるよ!」みたいなものか。
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by miharu0211 | 2005-12-12 15:50 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(11)

11/24(木)。

今日はダライ・ラマ法王がアメリカから戻られる日。
Dharamsala の近くには Gagal 空港という小さな空港があり、週に3回だけ
Delhi からプロペラ機が就航している。
法王はそれに一般人と一緒に乗って Gagal まで飛び、そこからは車で Dharamsala まで
戻るのだそうだ。
法王らしいなぁ、と思う。



d0016306_1303520.jpg法王が戻られるということで、
街中は清掃され、更に仏教の5色の旗や
チベットの国旗などで飾られていた。

チベットの民族衣装チュパを着た人も多い。
話がずれるが、ももちべさんは旅行中に
チュパをオーダーメイドしていた。
チュパレポをお待ちしております。

中村さんによると、チベット本土や
ラダックから来たらしき人々もいたとの事。
チュパの生地や着こなし方で
分かるらしい。
さすが、中村さん。



法王が戻られるという10:30迄のあいだに、
小川さんの通うMen-Tsee-Khang(チベット医学暦法学大学)へ。
ここは名前のとおり、チベット医学とチベット暦を計算するための占星術を学ぶための
学校。エリートの集まる学校である。5年制だそうだ。
予断だが、西暦2005年はチベット暦2132年。

Men-Tsee-Khang の中には、教室・学生寮の他に病院や博物館、製薬工場もあり
ここで作られた薬を販売している。薬といっても、普通の内服薬のほかにお茶や
クリーム等も作っていて、チベット人のお店で SORIG というブランドがあれば
Men-Tsee-Khang の製品である。
強壮剤や痩せ薬もあったようだが、その効果はどうなんだろ。

まず、博物館を見学。
小川さんの解説でいろいろ面白い話を聞くことができた。
「消化不良などの胃の不調には、ざくろが効く。」とか。勉強になった。
博物館では、チベット医学の概念やその歴史、薬に用いる薬草や鉱石、薬などが
展示されている。
現在ここで作成されている薬の中にも、日本では毒草とされるトリカブトや、
中毒性のある水銀などの鉱石が少量用いられているそうだ。
日本でも、昔は朝鮮アサガオが麻酔薬として使われていたそうだし、
少量なら効果もあるのかもな。

d0016306_14165954.jpgMen-Tsee-Khang の薬。
チベット暦8月の満月の日に
月の明かりの下で作成され、
その後に法王が儀式を行ない
力を入れたものらしい。

これは処方箋が無いと
入手不可能。
この文字はウチェンという
チベット語の活字用書体
…かな?


法王が戻られるまでもう少し時間があったため、病院へ。
ももちべさんが診察を受ける。
アレルギーの診断を受けたそうで、食物の注意点とともに2か月分の薬を処方されていた。
ももちべさんの診察レポ
むかしなつかし丸薬なので、飲むのが大変らしい。

Men-Tsee-Khang の学校は試験中で、学生さんが真面目に暗記作業をしていた。
小川さんもこの次の日に試験予定だったのだが、その試験とは
『教官4人の前で、この時期にかかりやすい病気とその対策について語る(時間:75分間)』
というとてもハードな内容。

こんな忙しい時期にガイドしてくださった小川さんには本当に感謝しております。
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by miharu0211 | 2005-12-12 14:40 | 北インドへの道