2005年 12月 05日 ( 2 )

ダラムサラ旅行記(5)

11/22(火)続き。

午前中は、ダライラマ法王お膝元の寺 Tsuglagkhang へ。
ここには、法王の公邸もある。
法王が Dharamsala にいらっしゃるときは、此処で謁見が可能なのだが
あいにく法王はアメリカ訪問中で、今回は謁見できなかった。
法王は24日に Dharamsala に戻られるそうだ。

早朝にホテルの部屋から道を覗いた時、まだ暗い道を多くのチベット人が
どこかに向けて歩いて行っていたが、彼らはこの寺へ朝のお祈りをしに出かけていたらしい。

チベット人は、本当に敬虔な仏教徒である。
例えば、輪廻転生を信じる彼らは、自分の体を刺す蚊でさえ殺さないのだそうだ。
「もしかしたら、この蚊は自分の前世で親だったかもしれない」と思うからなんだとか。
ゴキブリを一撃でしとめる私の話など、とても出来ない。
それに、どこにでも寺を建てる。
今回訪問した学校や養護施設等の敷地には、必ず豪華な寺が作られていた。
しかも、学校よりも先に寺を作るらしい。
すごいと思いませんか?

Tsuglagkhang では法要が行なわれていた。
d0016306_21455950.jpgピンボケ写真で恐縮ですが、
ここに写っているお坊さんは
ダライラマ法王の直属部隊。エリート集団である。

この奥には、砂マンダラもあった。
この法要は、砂マンダラに
神様を降臨させる儀式らしい。

一連の儀式は、
砂マンダラを作り、
そこに神を降臨させ、祈りを行い、
最後に砂マンダラを壊し、砂を川に流す、
という手順で行なわれる。
全てのモノはいつかは無くなるのだ、
という仏教の概念に適っている。

チベット暦で明日は『お釈迦様が天国の母親に会いに行って地上に戻ってきた日』という
祭日なので、それ関係の法要ではないか、と小川さんが教えてくれる。
なんとタイミングの良いことだろう。滅多に見られないものをおかげで見ることが出来た。
本当にラッキーとしか言いようが無い。


法要の見学後、Thupten さん(だったかな?)が
「Tsuglagkhang で、チベット名をもらえるところがありますよ。」と教えてくれたので、
みんなで行ってみることにする。
チベット名をもらう儀式の手順は下のとおり。
①今の名前をお坊さんに言う
②お坊さんはこっちの性別を見て、男性用女性用のカードの山を選ぶ
③ぶつぶつ①で教えた名前を唱えながら、お坊さんが②のカードの山から1枚を選ぶ
④そこに書いてあった名前がチベット名となる
…かなり簡単な儀式です。

d0016306_22232091.jpg右が今回もらった
私のチベット名。
"Tenzin Dekyong" と読む。
"Tenzin" は法王の本名から
"De" は 『幸せ』、
"kyong" は 『保護する』。
#と教えてもらいました。
ウメー(草書体)?


Dharamsala の街を少し歩く。
チベット語教室やヨガ、霊気(ってなんだろう?)のポスターがたくさん貼ってある。
数ヶ月滞在しても飽きなさそうな感じだと思いながら、更にポスターをあれこれ覗くと、
『Save Tibet』『Free Tibet』と書かれたポスターや
世界最年少の政治囚 パンチェン・ラマ11世のポスターも混じって貼られていた。
此処は逃げてきた人達の街なんだな、と改めて思う出来事だった。

ゲンドゥン・チューキ・ニマ君、今、中国の何処に監禁されてるんでしょうな。
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by miharu0211 | 2005-12-05 22:33 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(4)

11/22(火)。
d0016306_18595584.jpgダラムサラの朝。
現在、インドは乾季。
11月の Dharamsala は
朝は10度以下、昼は25度以上になる。

風にはためいている旗はタルチョという。
これはお経の書かれた旗で、風になびくと
1回お経を読んだことになるらしい。

1回まわすと1度お経を読んだ事になる
マニ車といい、お経をたくさん読むための
便利道具が多いチベットである。





朝。
ホットシャワーが出ないため、うらるんたさんももちべさん中村さんの部屋へ行く。
勿論、内側からドアは開かないので、外側から中村さんにあけてもらう。
私は昨晩水でシャワーを浴びていたので、ぼんやりと準備。
ホットシャワーも時間限定(夜中は出ない)なので、なかなか大変。日本は便利ですなぁ。

準備も出来、いざ出発というときになり、また外からあけてもらおうと中村さんに電話するが
中村さんは部屋にいなかった。しょうがないので、フロントへうらるんたさんが電話。
ついでに部屋を変えてもらうよう、アピールもする。
やってきたインド人が外からドアを開けてくれたので、うらるんたさんが
「木のドアにつけられたねじ穴が駄目になっていて、ドアが機能していない。」と説明するが、
このインド人、「ノープロブレム」しか言わない。
挙句、内側からもドアが開くことをアピールしようと思ったのか、
自分も部屋に入ってドアを閉めてしまった。
「あぁぁぁあぁ」と叫ぶ日本人3人。
インド人、こっちを見てニヤっと笑い、内側からドアを開けようとするがやっぱり開かない。
「だから言ったのにさぁ…」「コントやってんじゃないんだから」とぼやく日本人。
焦って懸命にドアを開けようとするインド人。
結局、ドアは開かず、インド人がフロントに電話をかけ、更なる救援部隊が来ることとなった。

無事ドアも開き、フロント前で中村さんと合流して再度部屋の交換を主張するも、
インド人は「ノープロブレム」しか言わない。どうも、修理するから待っとけ、と言いたいらしい。
あんたの仲間、閉じ込められたやんか。
てか、木のドアのバカになったねじ穴をどうしたら直るんだ?
このあと、中村さんがしばらく粘ってくれ、なんとか部屋を交換してもらった。
交換してもらった部屋も万全ではなくて、テレビがつかなかったんだけど、
前の部屋よりノープロブレムだったので良いとしよう。
この旅行中、私はかなり物事におおらかになったと思う。


閑話休題。
朝食のときだったか、ももちべさんの里子の話になった。
ルンタ・プロジェクトで支援している里子は、Gu-Chu-Sum という団体関連の子達である。
Gu-Chu-Sum は、チベット本土でチベット独立を求めるデモに参加したしたため、
中国政府より政治犯として刑務所に入れられたチベット人やその家族を支援する団体。
その団体に関連する子達であるため、里子には家庭事情が複雑な子が多いらしいのだが、
ももちべさんの里子の事情は更に複雑らしい。
ももちべさんが今回 Dharamsala に来た理由のひとつは、この里子の今現在の
行方がはっきりせず、それを確かめたいという思いからだったそうだ。

「彼女は、チベット本土にいるお母さんの元に帰ったらしいんですけど…」と言いながら、
里子の写真を見せてくれるももちべさん。見入る我々。
その1つの写真を見た現地ガイドの Thupten さんが、
「このアマラ(チベット語で『母』の意味。学校の寮母さんに対しても使うそうな)、うちの子の
アマラだよ」と言い出す。
Thupten さんは、更に、里子が友達と写っている別の写真をさして、
「だって、ここに写っているの、うちの子。」と言う。ビビる我々。
すごい偶然である。
うらるんたさんの『チベットを訪ねた日本人が、たまたま知り合ったチベット人に
「日本にいるチベット人の○○さん知ってる?」と聞かれたので、うらるんたさんの知り合いの
チベット人○○さんに聞いてみたら本人だった』という話
くらいの偶然。
チベット繋がりってこんな話が多いけど、それでもねぇ。
「だとすると、このアマラに里子ちゃんのことを聞けば、現在どうしているかわかりますね」
と、藤田さん。
「けど、この子、今も Dharamsala のTCV(Tibetan Children's Villages の略。)に
いるよ?」と
Thupten さん。

チベットに帰ったはずの子が、まだインドにいるなんてことがあるのだろうか。
TCV には午後に行くことになっていたので、そこでももちべさんの里子の消息をきっちり
調べることとなった。
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by miharu0211 | 2005-12-05 21:13 | 北インドへの道