2005年 12月 04日 ( 2 )

ダラムサラ旅行記(3)

d0016306_1936634.jpg11/21(月)続き。
この日、乗り込んだ列車。
寝台に使われた枕とシーツは、
朝になると列車から下ろされる。

この列車は、
前の日の昼に INDORE JN BG という駅を出て、
今日の夕方に終点 JAMMU TAWI へ着く。
30時間かけて、一体何km走るのだろう?
インドはとてつもなく広い。






窓から広がる風景は、ただただ大地と馬や牛などの動物と人、そして低い建物。
朝一、野外で用を足す人々も見てしまったこともあり(噂には聞いていたが)、
はじめは興味深く窓の外を眺めていたが、あまりの風景の変わらなさにだんだん飽きてくる。

昼の車内売り弁当もやっぱりカレー。
ここで、塩入りヨーグルト(しかも水っぽい)を食し、軽くショックを受ける。
マサラ味に飽きてきたのもこの頃。まだ1日半しか食べてないのにな。

時々やってくる売り子さんは楽しみの一つ。飲み物や食べ物、雑誌を売りに来る。
駅に停車している間に売りにくるチャイは、きちんと煮出したものなのでとても美味しい。
「チャーイチャイチャイチャイ…」なんて声が聞こえると、思わずそっちを見てしまう。
隣の座席にいる親子連れの子供が、売り子の真似をする。これがまたかわいい。
「さらっちゃうぞー」とももちべさん。めんこい男の子だったもんなぁ。

16時半、時刻表どおりにCHAKKI BANK 駅に到着。
パキスタンやカシミール地方に程近い(といっても100kmは軽くあるが)場所の駅である。
すごい場所に来たもんだ、としみじみする。
ここからタクシーで更に3時間進むと、やっと目的地 Dharamsala にたどり着けるのだ。
Dharamsala は広い。斜面に作られた街で、Lower・Middle・Upper と、
標高にあわせて3つの集落がある。そして、Lower と Upper は10kmも離れている。
Lower にはインド人が、Upper にはチベット人が多く住んでいる。
我々は4日間、Upper Dharamsala 通称 Mcload Ganj に滞在することとなる。


あともうちょっと…と意気込んで車に乗り込んだが、運転がこれまた荒い。
道が舗装されていないので、とにかく揺れる揺れる。兎に角怖い。
これだけ飛ばしたら、2時間くらいで着くのではないかと思ったが、
「この速度で3時間ですよ」と Thupten さんに言われ、げんなりする。
これでも、インドではかなりの安全運転らしい。信じられん。

街を抜け、未舗装の道を進み、州境の長い橋を渡って、更に街を抜け。
すっかり日が落ちた中、坂道をぐんぐん登る。
斜面の上の方に家々の明かりが見えてきた。
成田から30時間ちょっとかけて、やっと Mcload Ganj に着いた。
やっと来ることが出来た…という喜びが湧き上がってくる。
夜ながら店が営業中だった Lower に比べ、Upper はひっそりとしていた。


宿泊する Hotel Surya は、日本語訳だと「金持ちホテル通り」のような名前の
通り沿いにあった。
ホットシャワーの設備のある、インドでは良い部類に入る宿である。
ホテルの前では、今回の現地案内をしてくれる小川さんが待っていてくれた。
小川さんは日本で薬剤師の資格を取った後、Dharamsala に来て、
Men-Tsee-Khang(チベット医学暦法学大学)でチベット医学を学んでいる人。
チベット好きの間では有名な方である。
翌日より、小川さんには本当にお世話になることとなった。
彼と Thupten さんのおかげで、4日間、たくさんのモノを観る事が出来た。
一人旅だったら、とても無理だったであろう。

遅い夕食の後、小川さんに教えてもらったホテルの隣のインターネットカフェへ行く。
日本語が使えて、10分15ルピー。
ここで、ひとまず親と相方に、現地到着の旨を連絡する。
Dharamsala 滞在中、この店には毎日通うこととなった。


「旅にトラブルはつきもの」というが、ホテルではこの旅一番のトラブルが待っていた。
シャワーから湯が出ない。これはまだ許せた。
一度ドアを閉めると、内側からドアを開けられない。つまり、外に出られない。
これには困った。

既に夜遅いので、明朝に部屋を変えてもらうことにし、この日は床についた。
これまた長い長い一日だった。
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by miharu0211 | 2005-12-04 20:49 | 北インドへの道

ダラムサラ旅行記(2)

11/21(月)
夜中に目が覚める。時計を見るとAM2:30。
日本時間では午前6時。いつも起きる時間に起きてしまった。
うらるんたさんももちべさんに悪いと思いつつ、カーテンをあけて街を眺めてみる。
ちょっとだけもやがかかったような街は、やはり異国の風景であった。
イラク戦争時のバグダッドの映像を観てるような感じか。


朝6時にはホテルを出て、NEW DELHI 駅へ向かう。
相変わらず空気は悪い。そして、街も汚い。が、このごちゃごちゃした雰囲気は気持ち良い。

6時半過ぎ、NEW DELHI 駅に着く。
駅の周りは既に人がいっぱいで、あちこちで寒さを避けるために焚き火をしていた。
我々の乗ったマイクロバスを見て、赤のジャケットを羽織った人が大量に車を取り囲む。
「赤の服を着ている人はポーターだよ」と Thupten さんが教えてくれた。
外に出ると、火にビニールをくべている様な悪臭にくらくらとする。
Thupten さんは既にポーターと金の交渉をはじめていた。

中村さんに続き、駅の中に入る。
ホームは、寝てる人やらライフルを抱えた軍の人やらチャイや時計の売り子やらすごい状態。
切符が無くても、どうもインドは駅の中に入れるらしい。
ここで初めて乞食と呼ばれる人を見た。
彼らは、服を引っ張って金をくれという仕草をする。
一人に金をあげると大量の乞食に囲まれる、と聞いたことがあったので
しばらくシカトしていると彼らは次のターゲットを求めて去っていく。
『低いカーストの人たちは、生まれた時点でその生き方しか選べない。』
昔、何かの本で読んだのを思い出す。
手や足の無い人もいた。同情を得てお金をもらいやすくするために、
生まれた時点で親が切ってしまう、という噂は本当なのだろうか?
今考えると、少しあげればよかったなとも思う。彼らから見れば『富める者』なのだから。

d0016306_19113440.jpg駅のホームでこんなものを発見。
明け方に撮ったので暗いですが、
実はこれ、体重計。
1ルピー硬貨を入れると、
切符のような紙が出てきて
体重を教えてくれる。
裏には身長ごとの男女の理想体重一覧表付。
気に入ったので、パチリと一枚。







1時間遅れで列車はやってきた。
荷物を持って、早速乗り込む。
席は2等寝台。エアコン付。
窓は開かない。しかも2重。
中村さん曰く、列車の外から強盗や売り子が入ってこないようにするためだと言う。
そういえば、1ヶ月ほど前に南インドで列車が川に落ちたとき、窓に鉄格子が入っていたため
多くの人が逃げられずに溺れ死んだ、というニュースを見た。
あのときは鉄格子の意味がわからなかったが、強盗除けだったのか。
ちなみに、列車には非常用に開けられる窓もついていたが、手順が複雑で、
すぐに開けられるような仕組みではなかった。
インドの列車、非常時に生き延びるのはとても厳しそうだ。

そして、インドの列車はアナウンスを一切行なわない。
何処の駅かは列車の外に出て確かめないと分からない。
あとは、タイムテーブルから推測するしかない。
駅に止まった列車がいつ出発するかも分からない。
出発時、ゆっくりと列車は出発する。
列車のドアは無い。
外に出ていた人は動く列車に乗り込む。
これ、日本でおんなじことをすると非難の嵐なんでしょうな。

何はともあれ、列車は CHAKKI BANK に向けてのんびり進む。
9時間の旅である。
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by miharu0211 | 2005-12-04 19:31 | 北インドへの道